いま、イェール大学の学生たちがこぞって詰めかけ、夢中で学んでいる一つの講義がある。その名も「シンキング(Thinking)」。AIとは異なる「人間の思考」ならではの特性を存分に学べる「思考教室」だ。このたびその内容をもとにまとめた書籍、『イェール大学集中講義 思考の穴――わかっていても間違える全人類のための思考法』が刊行された。世界トップクラスの知的エリートたちが、理性の「穴」を埋めるために殺到するその内容とは? 同書から特別に一部を公開する。
原因が1つ見つかると、ほかの原因を除外してしまう
ジルがジャックにバケツに入った氷水をかけ、ジャックが叫び声をあげた。
哲学教授のフィルが研究室から出てきて、なぜジャックは叫び声をあげたのかと尋ねる。
するとジルが、自分がジャックに氷水をかけたと白状する。
だがフィル教授は納得しない。「それがジャックが叫び声をあげた原因だとなぜわかる?」と彼は問う(そういう状況に直面した人が一般に問いかける質問ではないが、フィル教授の専門は認識論で、彼は人がものごとを知る経緯について研究しているのだ)。
ジルはこう答える。「氷水をかけられれば、誰だって叫ぶでしょう」
この回答は十分条件である。十分条件は「Xが起こるとき、必ずYも起こる」と表すことができ、XがYの十分条件であるとき、XはYの原因であると推定される。ここまでは問題ない。
しかし、1つの原因がその結果を引き起こしたように思えたからといって、原因をその1つに決めつければ、それと同じくらい原因となりうる可能性を秘めているものを無視することになる。
ジャックとジルの話に戻ると、ジルがジャックに氷水をかけたとわかれば、ジャックが叫び声をあげたことについて、ほかの原因を考慮しなくなるだろう。「ジャックに蛇が忍び寄っていた」「フィル教授との約束の時間が過ぎているとはたと気づいた」といった可能性を考えなくなるのだ。
つまり、頭に浮かんだ原因がその結果を引き起こす十分条件を満たせば、その結果を引き起こした可能性のあるほかの原因は除外されるというわけだ。(中略)
「お金のおかげ」と感じると、もともとのやる気がなくなる
ほかの原因を除外してしまう例として、内因性の動機と外因性の報酬の関係もよく挙げられる。たとえば家の掃除を好きでやっている子に対し、父親から掃除に対する報酬が支払われるようになると、その子はもう、「好きだから」という理由で掃除をしなくなるかもしれない。
実際、何かに対して短期的に報奨金を受け取ると、その何かを行うパフォーマンスは向上したが、報奨金がなくなると、報奨金をもらう前より生産性が低くなったという研究結果がある。
そうなったのはおそらく、生産性が上がったのは報奨金のおかげだと思い込み、報奨金をもらう前に存在していた内因性の動機を除外してしまったからだろう。その結果、報奨金がなくなると、内因性の動機が以前より低い状態になったのだ。(中略)
「ネガティブな思い込みを助長する言葉」は絶対NG
とある実験を例に挙げよう。その実験に協力した参加者は、全員が女性だ。まずは、読解力のテストと偽って参加者に文章の一節を渡して読ませ、その後、数学のテストを課した。
ここで肝となるのが、最初に渡した文章の内容だ。
あるグループには、「男性と女性が、数学のテストで同様に優秀な成績を収めた」ことを示す研究に関する文章を読ませた。別のグループには、「Y染色体に存在する遺伝子の影響により、男性は数学のテストで女性に比べて5パーセンタイル優れた成績を収める」という内容の文章を読ませた。
数学のテストを受ける直前に後者の文章を読んだだけで、このグループのテストの点数は約25パーセントも低くなった! この低下を私の講義に置き換えて考えると、A評価とC評価の違いに相当する。
では、次のグループに注目してもらいたい。3つ目のグループが読んだ文章にも、「男性のほうが数学のテストで女性より優れた成績を収める」とあったが、それは「人格形成期に教師によって偏った先入観を植えつけられた」せいだと続いた。
この3つ目のグループの点数は、「数学の成績にジェンダーによる違いはなかった」という文章を読んだ最初のグループと同レベルのものとなった。
こうした結果が強く示唆するものは何か。
それは、「ジェンダー間には遺伝子的な違いがある」と学んだ2つ目のグループは、「環境の違いもある」という発想を自動的に除外したということだ。この素晴らしい研究から、不適切な無視や除外によってパフォーマンスが低下しうることが、はっきりと見て取れる。
ある現象が起きた原因が1つ明らかになると、原因となりうるその他の要素は自動的に考慮されなくなる。考慮しなくて正解の場合もあるが、例で示したように、それが明らかに間違っているばかりか、そのせいで実害が生じる場合もある。
(本稿は書籍『イェール大学集中講義 思考の穴――わかっていても間違える全人類のための思考法』から一部を抜粋して掲載しています)