「被災者」という人間はどこにもいない

開沼 亜利さんは、北朝鮮を撮る仕事を震災前からやっていたわけじゃないですか。そこに突然震災が起きて被災地に向かった。そこで何を撮ろうとしたんですかね?

初沢 基本的な心構えとして決めたことは、あえて「被災地」「被災者」だと思って撮らないということ。「被災者」なんて人間はどこにもいないので。

開沼 その通りだと思います。でも、通常であれば「被災地」と「被災者」を撮りに行く人ばかりなわけですよね。やっぱり「お約束の絵」を撮りに行く。

初沢 実際に通ってみると、確かに彼らは被災者であるが、「畠山さん」であったり、「小野寺さん」であったり、「村上さん」であったり。写真を撮るということは、「私」が「あなた」を撮るに過ぎないんですよ。「あなた」が北朝鮮人だったとしても、被災者だったとしても、あなたはあなたで、いち個人として眼差しを向けています。つまり、「我々」が「あなた方」をではないんです。これが大事なことなんですけど。

開沼 なるほど。

初沢 「被災者たち」と言ってしまった時、「こちらは何者なんだ?」ということになれば「東京人」ということになるでしょ?でも、私とあなたの場合、どこまでも「私」と「あなた」になります。

開沼 でもそうなると、被災地に行かなくてもいいじゃんという話もあり得ますよね?

初沢 あり得ますね。そこが、カメラマンとしての自分の軽率なところでしょうね。その場にいないことには何も写せません。「行った」というところからすべてが始まったんです。そこには飛躍がありますよね。そこに確かに被災者がいる。どこまでいっても被災者だし、被災地だけれども、そこに眼差しを向けてそれをフィルターにしながら、最終的に「人間とは何ぞや」に到達できるような写真を撮れたらいいなと。

開沼 「人間とは何ぞや」を撮りたい。それはこれまで出版されてきたすべての写真集に通じるテーマでしょうね。もう少し言語化すると、どのように他のテーマにも共通するんですかね。

初沢 人間というのは、なんだかよくわからないわけです。1枚の写真が、30年後位に地球の裏側のある国に飾ってあったとしますよね。そうすると、中学生・高校生が、「この写真いいね。いつの時代に撮られたの?」と先生に聞いたら説明がされるわけですけど、その写真が人の目にとまるためには、その写真が良い写真でなければならない。

開沼 どんな写真が良い写真ですか?

初沢 写された時の条件が全部取り去られても、その写真が何らかの人間の心をくすぐる場合です。その写真が、どの時代、どの国で見られたとしても、心を震わせる普遍的なものがその中に存在していないと、やっぱり広い意味で写真が伝わっていることにはならない。そういうことを目指しながら撮っていたので、「被災地はこうだから、今すぐ誰かに伝える」という写真よりは、震災直後から抱えてきた傷を超えた先にまで震災の記憶が伝わるために、何年経っても力強く残り続ける写真でなければなりません。

震災に溢れる“お涙頂戴”への抵抗

開沼 力強く残る写真でなければならない。そのためには人の心に刺さらなければならない。そう考えると、例えば、暴力や性っていうのは普遍的に人の心に刺さったりするわけですよね。だからこそ、小説でもドラマでもテーマにしやすい。にもかかわらず、イラクとか被災地とか北朝鮮とか、そうではない表現形態で普遍的に刺していこうとする。

 それでは、暴力とか性といったわかりやすいものではなくて、「普遍的に人の心に刺さるもの」って亜利さんにとって何なんですか。それが何か言語化できていますか?暴力でも性でもない「何か」が普遍的だとした場合、普遍性のポイントになるものとは何ですか?

初沢 1つは狂気のようなもの。誰しも、心の奥底には狂気を持っているはずであり、どの時代のどんな人にもきっとあるでしょう。そういったある種の狂気と、写真に写っている人の狂気や危うさが連動した時、心に響くことがあるんじゃないかなと。

歩道橋の柵の外に座る男性を写した一枚
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  4月の終わりに気仙沼で撮った一枚の写真があります。津波のあとで焼き尽くされた鹿折地区の歩道橋に1人の男性が外を向いて座っている。隣には日本の国旗が結えつけられています。彼は一体何をしようとしてたのか?飛び降りようとしていたのか?その後を考えるととても怖い一枚です。写真集を今でも時々めくりますが、このページを開くたびに撮影者である私も立ち止まってしまうんです。

 震災1ヵ月後の被災地は、誰もがギリギリの精神状態で、狂気を抱えて生きていました。他者を攻撃するような狂気ではなく、内に向かうような狂気。そういう緊張感がじわじわとこの一枚からは伝わってくる気がするんです。

開沼 震災には「美しい話」が溢れるわけですよね、とても単線的で、単純化された。亜利さんには、“お涙頂戴”や単純化されたものへの抗いが常にあるんですかね?

初沢 ありますね。

開沼 それは写真家にとって普遍的な価値観ですか?それとも、亜利さん固有のものですか?

初沢 僕に固有のものじゃないですか?大学時代に撮った麦わら帽子の写真にしても、決して単一のメッセージを発していません。目の前にうごめく社会の中から、ある部分を切り取って数百分の一秒に閉じ込めた時、人間や社会の縮図が見える瞬間がある。その中には、異なる真実、異なる正義がいくつも詰め込まれていたりします。多様なものを多様なまま提示することに意義があるのではと、写真を始めた頃から感じていたように思います。

 被災地に通ってしばらく経った時に、広告代理店の友人が「これを写真集にしても売れない。犬だけを撮ったほうがいいんじゃないの?犬・猫なら売れるよ」って言うんですよ。北朝鮮撮るなら美女だけ撮って写真集にしたほうがいいんじゃない、という発想もあります。そうしたら、今より3倍、5倍売れるかも知れません。でも、そんなことやるなら死んだほうがいい。そうじゃないだろう、というとこに抗いがあるんじゃないですかね。

開沼 犬・猫であれば、都内の道端を歩いている犬・猫を普通に撮影してもいいことになっちゃうわけですよね。でも、被災地の犬・猫や北朝鮮の美女というパッケージングがおいしいと。ただ、「北朝鮮に美女もいるんだ」っていうのもまた期待を裏切っているのかなとも思うわけです。「東大生・美女」がウケるのと同じ話ですよね。

 僕はいつも「周縁的な存在」と言っていますが、亜利さんが「周縁的な存在」にあえて向かうなかで、美女や犬・猫という、ある種わかりやすく安直なところではない部分になぜ向かうのか、何が違うのか聞きたいです。周縁的な存在への魅力を感じて、それを追っかけたいと感じているわけですよね?

初沢 追っかけたいというより、必然的にそうなっちゃうんですよね。「多様性」にしても「周縁的な存在」にしても、僕にとってはある種の身体感覚みたいなもので、自分が欲しているところに眼差しが向かってしまう。世界ってきっとこういうもんなんだろうな、と。

開沼 こういうもんなんだろうっていうのは、そんな単純じゃないし、きれいなものばかりじゃないし、でもきれいに見えることもあるということですか?

『True Feelings 爪痕の真情。2011.3.12~2012.3.11』の表紙に使われた写真
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初沢 きれいに見えることもありますね。というより、多義性を「美」という表層で覆うことで見る側が接近しやすくなる。被災地写真集の表紙になった桜の写真も、「きれいですねぇ」がまずは入口になるわけです。でも、しばらく見ていると、「きれいであるが故に恐ろしい」ということになる。

 写真を始めたばかりのころは、ずっと東京で作品を作っていました。東京人が何事もない東京を撮るなかで世界観を突き詰めても良かったのかもしれない。本当はそれのほうが正解なんですよ。なぜ被災地か?なぜ北朝鮮か?と問われると確かに弱いんです。1つには、発表した作品が全然見向きもされなかったっていう部分はありますね。

 いつかは東京に戻ろうとは思っているんです。北朝鮮や被災地で東京と同じことをすることで、人が関心を向ける対象だからこそ自分の世界観を見せていくことができる。そのほうが取っ付きやすいのかなと。ところが、取っ付きやすいものに取っ付く人は、さらにわかりやすいものでないと困ると言いますね。一元的でないとわからない、という意味で。

開沼 そうですよね。

初沢 それがジレンマみたいなところがあるんですよ。

最も近くにありながら、最も“遠い”国でもある北朝鮮。メディアの報道では切り捨てられる彼らの日常に迫るため、初沢亜利氏はあらゆる手段を尽くして現地へと乗り込んだ。私たちの知らない北朝鮮の真実とは何か。次回更新は3月18日(月)を予定。

※対談を記録した動画を下記↓よりご覧いただくことができます。

【ボクタク外伝】開沼博(社会学者)×初沢亜利(写真家)【対談放送】

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