やるべきだったのにやらなかったことが
頭に浮かんで僕の眠りを阻んだ

 すべてが、まるで昨日のことのように思えた。僕の写真は、髭を生やしているときのものも、生やしていないときのものもあり、三十年以上のあいだに、だんだんと髪が薄くなっているのを示していた。

 プードル犬バスターの灰を納めた壺、ドアーズのジム・モリソンの墓参りを一緒にするために、パリで待ってる、と書いて送ってきたロンドンの友人からの手紙、ジョイスと僕が高校のプロムで撮った写真もあった。

 ジョイスは僕の初恋の相手で、その後もずっと友だちだった。十五年後、ウェディングシャワーから車を運転して帰る途中に、事故で死んだ。その二日後、結婚式が行われる予定だった午後に、墓地に埋葬された。八十歳になっても友だちでいようと約束していたのに。ジョイスが死んだ十月のその日は、僕の人生でもっとも悲しい思い出のひとつだった。

 その夜は風がうるさくて眠れなかった。突然、時間列も順序も関係なく過去が戻ってきたために、物事や自分自身に対する日常的な感覚がおかしくなってしまった。目を閉じると、草野球チームのピッチャーとして州大会に出場したときの思い出が鮮やかに蘇った。

 州大会の試合はメジャーリーグのスカウト、賭け事好きの人たち、日に焼けた十代の少女たちの前で行われた。眠れぬまま、ライトを守ったアンドレのことを考えた。彼は運動選手として、そして、それ以上に、人間としてすぐれていた。

 その夏以来、彼とは会っていなかったが、何十年もたった後、彼の娘の写真をニューヨーク・タイムズ紙で見た。彼の娘は平和使節としてイラクへ行き、襲撃されて死亡した。アンドレはどんな気持ちでいるだろうかと想像し、涙をこらえきれなかった。

 それなのに、僕は彼にお悔やみの手紙を書かなかった!