そのほかにも、やるべきだったのにやらなかったことが頭に浮かんで、僕の眠りを阻んだ。

果たせなかった
難民キャンプで出逢った少年との約束

 1970年代後半に、祖母のシャーリーの話を録音したときのテープを聴いた。祖母が懐かしいイディッシュ語で話すのを耳にして、顔がほころぶと同時に、とても懐かしく思った。

 だが、僕は祖母の葬儀に参列しなかったのだ。祖母が亡くなった週は、仕事がとても忙しかったからである。

 ケニア北部の難民キャンプを訪れたことも思い出した。暑くて、埃だらけの場所に、3万2000人以上の子どもたちが暮らしていた。子どもたちの大半は、二度と両親に会えないのだろう。しかし、彼らはより良い暮らしへの夢を捨てていなかった。

 ある少年は、アメリカについてなんでもいいから話してほしい、とせがみ、いつかそこへ行きたい、と言った。そして、英語を学ぶために読んでいるというかび臭い教科書を見せてくれた。ケニアが、まだ、大英帝国の植民地だった頃のものだ。

 僕は少年に約束した。キャンプの図書館を、好きな本でいっぱいにしてあげるよ、と。

 「みんなそう言うんだ」少年は肩をすくめた。約束を守らないのはわかってる、と言いたげだった。

 僕は約束を守らなかった。しかも、長いあいだ、そのことを悪いとも思っていなかった。

 しばらく、うとうとしたらしい。目を開けると、月の影の位置が変わっていた。ふたたび箱のことを考えはじめた。

 箱に詰まっていたものは、僕が人生の早期には豊かな人間関係を作り上げていたことを示していた。しかし、同時に、僕にはやらなければならない宿題があることを思い出させてもくれた。

 アンドレを訪ねてお悔やみを言うこともそのひとつだ。先延ばしにしてきたことも、やらずにいたこともあった。

 自分自身の問題で頭がいっぱいだったり、出世を急いでいたり、後回しにしたいという気持ちがあったりしたために、大事なことを疎かにしてきた。そのせいで、身近な人々を傷つけ、仕事にしがみつかなければならないという不安や衝動がさらに駆りたてられた。