分子古生物学者である著者が、身近な話題も盛り込んだ講義スタイルで、生物学の最新の知見を親切に、ユーモアたっぷりに、ロマンティックに語るロングセラー『若い読者に贈る美しい生物学講義』。養老孟司氏「面白くてためになる。生物学に興味がある人はまず本書を読んだほうがいいと思います。」、竹内薫氏「めっちゃ面白い! こんな本を高校生の頃に読みたかった!!」、山口周氏「変化の時代、“生き残りの秘訣”は生物から学びましょう。」、佐藤優氏「人間について深く知るための必読書。」、ヤンデル先生(@Dr_yandel)「『若い読者に贈る美しい生物学講義』は読む前と読んだあとでぜんぜん印象が違う。印象は「子ども電話相談室が好きな大人が読む本」。科学の子から大人になった人向け! 相談員がどんどん突っ走っていく感じがほほえましい。『こわいもの知らずの病理学講義』が好きな人にもおすすめ。」、長谷川眞理子氏「高校までの生物の授業がつまらなかった大人たちも、今、つまらないと思っている生徒たちも、本書を読めば生命の美しさに感動し、もっと知りたいと思うと、私は確信する。」(朝日新聞書評)と各氏から評価されている。今回は書き下ろし原稿を特別にお届けする。

「不利な遺伝子」にも意味はある。「性の進化」の新説から学べることPhoto: Adobe Stock

メスだけの「トカゲ」

 私たちヒトには性がある。

 しかし、トカゲの中には、ニューメキシコハシリトカゲのように、メスしかいない種もある。

 メスだけで卵を産んで、ちゃんと生きているのだ。オスがいなくても大丈夫なのだから、性は生物にとって不可欠なものではないのだろう。

 しかし、そうはいっても、これだけ多くの生物に広まっているのだから、性には何か良いところがあるはずだ。それは何だろうか。

 言葉を替えれば、性はどうして進化したのだろうか。実は、これは難しい問題で、現在でも完全に解明されているわけではない。

ブレイ村の牧師仮説

 しかし、有名な説はいくつかある。そのうちの一つが、ブレイ村の牧師仮説だ。たとえば、ある人は足が速くなる遺伝子(Aとする)を持っており、別の人は視力が良くなる遺伝子(Bとする)を持っていたとしよう。

 AあるいはBのどちらかを持っているだけでも素晴らしいけれど、両方を持っていればさらに素晴らしい。そして、性があれば、そういう人を生み出せるのだ。

 たとえばAを持っている男性とBを持っている女性が有性生殖をすれば、AとBの両方を持つ子どもが生まれる可能性があるのである。このような、性があれば有利な遺伝子をすばやく1つの個体に集められる、という説を、「ブレイ村の牧師仮説」という。

 ブレイ村の牧師というのは小説に出てくる中世の牧師で、君主が変わるたびに、君主に合わせて自分の信仰を変えるお調子者だ。しかし、変化にすばやく対応できる人物ともいえるので、有性生殖のたとえに使われているのである。

不利な遺伝子が集まることにも意味はある

 しかし、冷静に考えれば、有性生殖によって有利な遺伝子ばかりが集まるとは考えにくい。遺伝子はたくさんあるのだから、不利な遺伝子が集まることもあるだろう。

 ところが、不利な遺伝子が集まることにも意味はあるようだ。アメリカの集団遺伝学者であるシューアル・ライト(1889~1988)は、生物が自然淘汰によって、適応度を上げるように進化していくことを、山に登ることにたとえた。

 たとえば、生物が低い場所から進化を始めて、山の頂点まで登っていくようなイメージだ。その場合、もしも登った山が低い山であっても、生物は我慢するしかない。

 すぐ隣に高い山があっても、生物は移ることができない。なぜなら、自然淘汰は、生物を上に登らせることしかできないからだ。

 一度低い谷におりて、隣の高い山に登り直すことはできないのである。そういうときに、隣の高い山に登った生物と生存競争が起きれば、低い山に登った生物は敗北して絶滅してしまうだろう。

 ところが最近、性があれば、一度登った山から下りて、隣の山に移れるという説が唱えられるようになった。

 たとえば父親が、最適に近い遺伝子の組み合わせを持っていたとしよう。さらに母親も、父親とは違う組み合わせだけれど、それなりに最適に近い組み合わせを持っていたとする。しかし、子どもが、父親と母親からどの遺伝子を受け継ぐかはランダムである。

 したがって、もしも両親が最適に近い遺伝子の組み合わせを持っていたとしても、その組み合わせが子どもでは壊れてしまう場合もある。

もう一度やり直す

 つまり、せっかく登った山から転がり落ちてしまう場合もあるということだ。でも、これは必ずしも悪いことではない。なぜなら、一度低いところへ下りることによって、別の山へ登り直すことができるからだ。そして、その山が以前の山よりも高い山だった場合、結局生物は得をすることになる。

 自然淘汰は生物を上に登らせる力しかない。そのため、いったん低い山に登ってしまった生物は、進化をやり直すことができない。しかし、性があれば、山を下りることができるので、もう一度進化をやり直すことができるのである。

 生物が適応度を上げていくためには、つまり、さらに高い山に登り直すためには、自然淘汰だけでは不十分で、おそらく性が必要なのだ。そう考えれば、性が多くの生物で進化していることに納得がいくだろう。

(本原稿は『若い読者に贈る美しい生物学講義』の著者更科功氏による書き下ろし連載です。※隔月掲載予定)