パチンコ、麻雀、女、酒、タバコを欠かさず、ほぼニート状態の父親。それに母親が共依存するという複雑な家庭環境に育った。14歳のとき、父親が自己破産して失踪。貧しい生活を支えた母親は病に倒れ、半身不随に。苦境のなか、独学で大学に合格、奨学金を得た。そして、兄・成田悠輔がくれた本をきっかけに「起業」を志した。話題の書『14歳のときに教えてほしかった 起業家という冒険』(ダイヤモンド社)の著者・成田修造は、体当たりで起業家の道を歩むようになる。本書は起業を通じた人生の指南書で、何歳からでも起業・独立・副業でビジネスを展開するときに必須の内容。これからは会社員であっても、自分で事業をつくれると強い。その思考法とノウハウを全公開する。
※本稿は、『14歳のときに教えてほしかった 起業家という冒険(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。
母親に訪れた限界
母にとって、父の失踪による喪失感がどれほど大きかったのかは計り知れません。
父がいなくなってから、母はなかばノイローゼのような状態で仕事を続けていました。平日は遅くに帰宅し、休日は家事に追われ、息をつく間もなかったはずです。
そんな母に、やがて限界が訪れます。
倒れて泡を吹き
意識を失った母
父の失踪から3年後、僕が17歳のときに、母は突然倒れてしまいました。
あれは、夏の暑い日でした。僕が自分の部屋にいると、兄が血相を変えて飛び込んできました。
急いで見に行くと、そこには倒れて泡を吹いている母がいたのです。すでに意識はなく、話しかけても返事はありません。
急性くも膜下出血を発症
救急車で運ばれた母は「急性くも膜下出血」と診断され、すぐに手術が施されました。
「脳動脈瘤」という“こぶ”のような血管のふくらみが突如として破裂したことにより、母は倒れたのです。
死亡確率50%を彷徨い……
それから3日間、生死をさまよい、担当医から「50%以上の確率で死ぬ」と宣言されていたにもかかわらず、幸いにも母は一命をとりとめました。
しかし、母には後遺症が残り、半身不随になってしまったのです。
※本稿は、『14歳のときに教えてほしかった 起業家という冒険』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。