仕事を誰かに依頼するとき、みなさんはどんな「依頼文」を書いていますか? 2019年6月発売の『読みたいことを、書けばいい。』という本で、わたしの依頼文が全文公開されているのですが、最近になって、たくさんの読者の方々から「あの依頼文を公開していただけませんか?」という声をいただきます。いや、もうすでにさらされているので、もちろん公開させていただきます。(構成:編集部/今野良介 初出:2022年4月7日)
おかしな人から手紙が届く
田中泰延 様
はじめまして。ダイヤモンド社という出版社で
ビジネス書を作っている、
今野良介(こんのりょうすけ)と申します。
ぜひ田中さんと一緒に本が作りたくてご連絡しました。
「信じられる人のことば」
というテーマの書籍企画について、
下記の趣旨に少しでも興味を持ってくださいましたら、
一度直接お会いして、
ご相談させていただけないでしょうか。
私が、この本を通して実現したいことは、
「正直な書き手が増える」ことです。
主にWeb上で、正直な言葉が交わされる人間関係や、
そこから生まれるコンテンツを
少しでも増やしたいと願っています。
私は、「文章表現」をテーマにした書籍作りを
編集者としてのライフワークにすると
決めているのですが、
「文章が伝わらない」と悩む人は、今、とても多いです。
その大きな原因の1つは、
「書き手が嘘をついていること」にあるのではないかと、
最近感じ始めています。
私が考える「嘘」とは、
あからさまに悪意のあるものだけでなく、
「本当に思っていないことを書く」
「他人から借りてきた言葉をそのまま使う」
「その対象に愛がないのに紹介する」
などを含みます。
もちろん、嘘をつかなければならない場面はあります。
嘘をつける関係は、豊かだと思うこともあります。
でも、小さな嘘を積み重ねているうちに、
自分の嘘に無自覚になってしまうと、
相手と心が通じ合わなくなるのではないかと思うのです。
そこでまず、「文章における嘘」とは何かを、
そのデメリットとともに
田中さんに言葉にしていただくことから、
本の構成を考えたいと妄想しています。
この本を読むと、
相手が嘘をついているかどうか
( ≒ 信用できる人かどうか)わかる。
そして、自分自身が、
正直に語る言葉の使い方を身につけることで、
「伝わる文章」を書けるようになる。
そういう本を、私と一緒に作っていただけないでしょうか。
すみません、長くなりますが、
なぜ、それを田中さんに書いていただきたいのか、
という話をします。
私は、田中さんの大量のツイート、
特に、フォロワーの方々とのやりとりを見ていると、
嘘をついている人や、
他人を傷つけることに無頓着な人を、
瞬時に見極めてリプライされているように見えます。
あれだけ大量にリプライしながらも、
他人の悪意や嘘に、とても敏感かつ
非常に的確に反応されていると感じます。
そして、単純に田中さんの文章が好きです。
特に、ベートーヴェン『第九』の評論や
『セッション』などの映画評は、
「その作品は客観的にどのような意義があるか」
だけでなく、
「自分が何を感じたか。どこを愛したか」
に重点を置いて書かれているので、
拝読していてとても気持ちが良く、
スッと心に届くのです。
田中さんならば、嘘をついてしまう構造や、
嘘のデメリット、
正直に語る意味と方法を明らかにしていただける、
と思い、ご依頼差し上げる次第です。
長々と書き連ねましたが、
ここまで読んでくださっていたら、
ご検討くださいますと幸いです。
どうか、よろしくお願いいたします。
今野良介
------(引用ここまで)
以上が、本で公開されている(≒さらされている)依頼文の全文です。
この依頼文に対して、田中泰延さんは本全体で「応答」してくれたのですが、本記事では1つ、直接的に「回答」してくれた(とわたしが思っている)部分を抜粋して紹介します。
------(引用ここから)
感動が中心になければ書く意味がない
映画を観た、コンサートへ行った、おいしいものを食べた。この素晴らしさをまず自分で文章にしてみたい。よかったらみんなも読んでほしい。
こういう衝動があるときはいい。
しかし、仕事としてなにかの依頼を受けたり、課題を与えられたりした場合、つまらなく感じた映画やおいしくなかった料理についても、書かなければならない。
対象に対して愛がないまま書く。これは辛い。
だが、一次資料には「愛するチャンス」が隠れている。
お題を与えられたら、調べる過程で「どこかを愛する」という作業をしないといけない。それができないと辛いままだ。
対象を「愛する」方法には2つある。
たとえば映画ならば、「あのシーンの意味は?」となったとき、「シェイクスピアのセリフを引用しているな。この監督はシェイクスピアが大好きなのだろう」とか「子どもの頃から、この脚本家は聖書のこの一節を聞かされて育ったんだな」とわかると、徐々に愛が生まれてくる。
映画は、何百人、何千人が心を1つにして作る。最低の評価を受ける映画でも、良いところはある。
また、その映画自体は最後までおもしろく感じられなくても、関わった人間のだれかのパーソナリティは愛せるかもしれない。
「わたしが愛した部分を、全力で伝えるのだ」という気持ちで書く必要がある。
愛するポイントさえ見つけられれば、お題は映画でも牛乳でもチクワでも良く、それをそのまま伝えれば記事になる。
それでも愛が生じなかったら、最後のチャンスとして、どこがどうつまらなかったか、なにがわからなかったか、なぜおもしろくなかったかを書くしかない。
「つまらない」「わからない」ことも感動のひとつで、深堀りしていくと見えてくる世界があり、正しい意味で文章を「批評」として機能させることができるはずだ。
その場合でも、けなすこと、おとしめること、ダメ出しに情熱を傾けてはいけない。
文章を書くとき絶対に失ってはいけないのが「敬意」だ。
事象に触れて生じる心象が随筆だと、わたしはこの本で繰り返し述べてきた。
その事象は常にあなたの外部にある。自分の外にある「外部」の存在に敬意を払わなければ、あなたもあなたの外部から敬意を払われない。
調べることは、愛することだ。自分の感動を探り、根拠を明らかにし、感動に根を張り、枝を生やすために、調べる。
愛と敬意。これが文章の中心にあれば、あなたが書くものには意味がある。
------(引用ここまで)
1969年大阪生まれ。早稲田大学第二文学部卒。学生時代から6000冊の本を乱読。1993年株式会社電通入社。24年間コピーライター・CMプランナーとして活動。2016年に退職、「青年失業家」と自称しフリーランスとしてインターネット上で執筆活動を開始。2020年に「ひろのぶと株式会社」を起業し、現在同社代表取締役社長。webサイト『街角のクリエイティブ』に連載する映画評「田中泰延のエンタメ新党」「ひろのぶ雑記」が累計330万PVの人気コラムになる。その他、奈良県・滋賀県・福島県など地方自治体と提携したPRコラム、写真メディア『SEIN』連載記事を執筆。映画・文学・音楽・美術・写真・就職など硬軟幅広いテーマの文章で読者の熱狂的な支持を得る。「明日のライターゼミ」講師。著書に『読みたいことを、書けばいい。』『会って、話すこと。』(ともにダイヤモンド社)がある。