お金持ちの家に生まれ育ち、大学を卒業して間もなく結婚。3人の子どもを授かるも離婚した。実家に出戻ったものの、父親の会社が倒産し、49歳で住む家を失った。ついには預金通帳の残高がほぼ0円に……それまでとはうって変わって赤貧生活に陥り、裸一貫で整体院で働くようになった。自分の力で人生を切り拓いてきたとき、今度は末期寸前のがんを患うことに。そんな波乱の人生を乗り越えて「今がいちばん幸せ!」と断言する『71歳、団地住まい 毎朝、起きるのが楽しい「ひとり暮らし」』(ダイヤモンド社)の著者が、毎朝起きるの楽しくなるライフスタイルを【人間関係】【食事】【睡眠】【健康】【メンタル】【ファッション】【インテリア】【パソコン】とテーマごとに紹介する。
※本稿は『71歳、団地住まい 毎朝、起きるのが楽しい「ひとり暮らし」』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。
天国から地獄へ
私の半生は、天国から地獄へとジェットコースターのようなものでした。
父親が会社を経営する裕福な家庭に生まれ、経済的には何不自由ない幼少期を送りました。
その後、大学を卒業して間もなく結婚するも、性格の不一致から離婚。3人の子どもたちとともに実家に戻りましたが、父親の庇護のもと、それまでと変わらず生活を送ることができました。
49歳で住む家をなくす
ところが、頼りにしていた実家が突如倒産……。49歳という年齢で住む家をなくし、ついには預金通帳の残高がほぼ0円になったのです。
それまでの前半生とはうって変わって赤貧生活に陥り、まさに身ひとつからの再出発を余儀なくされました。
そんな私を救ってくれたのは、健康に対するあくなき探求心でした。
またも地獄へ
整体院で働きつつお金を貯め、ボディーワーカーとして自身のスタジオを開設し、自力で生活できる収入を得ることができるようになったのです。
ところが、そこまで這い上がったところで、またも地獄へ突き落とされるようなことが起こります。
61歳のとき、「ステージⅢC」という末期寸前の子宮頸がんが判明したのです。
希望を捨てない
体が丈夫なのがとりえと思っていた私にとっては、まさに青天の霹靂でした。
あとで知ったことですが、周囲の人たちは、「もう助からないだろう」と覚悟していたようです。
もっとも当の本人は希望を捨ててはいませんでした。私は必ず治る。そして今度こそ体のことをイチから見直して、本当の健康を手に入れてみせると思ったのです。
いつ何が起こるかわからない
その思いが通じたのか、九死に一生を得て、無事に古希を迎えることもできました。
天国から地獄へと、振り幅の広い71年の人生を振り返って思うことがあります。人生、いつ何が起こるか誰にもわからない。だからこそ今、この瞬間を楽しまなきゃ損!
71歳、1DKの団地住まい。ひとり暮らしですが、毎朝、起きるのが楽しいんです。
※本稿は『71歳、団地住まい 毎朝、起きるのが楽しい「ひとり暮らし」』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。