持続的企業価値向上に貢献する
クロスボーダーM&A
【Post-PMI(過去の検証と次への準備)】
行動8:海外M&Aによる自己変革とグローバル経営力
行動9:過去の経験の蓄積により「海外M&A巧者」へ
クロスボーダーM&AとPMIについて、日本電産における経験則などから、地域統括会社の役割にM&AのデューデリジェンスとPMIのサポートを加えることは意味があると考えます。
連載第4回で解説した、日本電産のグローバル5極マトリックス型経営管理体制で考察した事業軸(縦軸)と機能軸(横軸)のマトリックスとは、
・事業軸(縦軸):事業本部と国内グループ会社がプロフィットセンターとして収益責任を負いながらグローバルに事業を展開
・機能軸(横軸):京都本社と地域統括会社はコストセンターとして、一義的には収益責任を負わずにプロフィットセンターをサポート。地域統括会社の役割は、経営品質(ガバナンスとコンプライアンス)と経営効率(域内シェアードサービス提供)の向上、そしてM&AとPMIのサポート
から成ります。
地域統括会社の役割に加えられたクロスボーダーM&AのデューデリジェンスとPMIのサポートは、M&A件数の増加とともにノウハウが蓄積され、効果が上がっていく項目です。
現地人幹部間の円滑なコミュニケーションに基づき、M&AとPMIに関する高度専門性を有する社内のプロフェッショナルから提供されるサポートは、効率的で効果的です。また、属人的になりがちなM&A関連ノウハウをマニュアル作成により形式知化を図ることでグループ内に蓄積していくと同時にM&A人財の育成にも役立ちます。
これは、「日本企業にはそもそもクロスボーダーM&Aを担当できる人財が少ない」という指摘に対する、トランスナショナル発想に基づく解になると考えています。異文化で、このような環境に若手の管理職/社員を業務支援やOJT目的で派遣することは、効果的な人財育成にもつながります。
日本電産の事例では、米州統括会社では、設立当時、京都本社の筆者が非常勤で社長を兼務しましたが、常勤の女性CFO以下の幹部は米国人で固められました。企業価値創出の経営管理面では、経営効率向上のサポートをします。企業価値毀損防止の経営管理面では、お目付け役的にガバナンス、コンプライアンスの体制・仕組みづくりと、順守徹底を図り、監視を進めます。
一方で、M&AのデューデリジェンスとPMIに関しては、専門性高いプロフェッショナルとして、ネイティブ同士によるスムーズなコミュニケーションをベースに、効率的で効果的なサポートが提供されました。
ビジネスパートナーとしてのサポートは、その知見とノウハウがWPRマニュアル同様に、M&A・PMIマニュアルとして標準化され、形式知化されました。これにより、M&AとPMI関連ノウハウは属人的にならず、蓄積され、共有され、活用されていきます。これは、プロフェッショナルの流動性の高い欧米社会では重要なポイントと考えます。
日本電産では買収対象が欧米の会社だと、「日本人がトップを務めることは難しい」というのが永守社長をはじめ経営陣の認識でした。お目付け役的に日本から幹部が派遣されることはありますが、欧米の会社の事業主体は基本的に欧米人とされてきました。
被買収会社の幹部と従業員との相互信頼に基づき、シナジーの早期実現に焦点を置きながら、経営哲学と経営ノウハウ(企業価値創出と毀損防止の両面)が伝えられていきます。科学的で合理的な説明に基づく経営ノウハウの導入によって成果が上がれば、被買収会社の幹部も得心して、利益ある成長の高い目標に挑み続け、従業員の士気も上がっていきます。
日本電産で2010年以降クロスボーダーM&Aの件数が増え始めた当初は、多くの日本企業同様にクロスボーダーM&A対応の社内のリソースは限定的だったといえます。M&Aでグローバル化の契機になったのは、家電産業用モーターでは2010年の米国エマソン・エレクトリックの祖業の中型モーター事業の買収です。
エマソン・エレクトリックは、米国社会で高い評価を得てきた会社で、その経営についてはPerformance Without Compromise(邦訳『エマソン妥協なき経営』、チャールズ・F・ナイト、ディヴィス・ダイヤー著、浪江一公訳、ダイヤモンド社)という本が出版されています。
「欧米人幹部を最初から信頼して大丈夫ですか」という質問を受けたことがあります。エマソン・エレクトリックからM&Aに伴い、移籍してきた米国人幹部の多くはMBAの保有者、CFO部門ではCPA(公認会計士)の保有者で経験豊富なレベルの高いプロフェッショナルが多くいました。ビジネスの討議を通して、連載第1回で論じた倫理観とキャリアセキュリティー意識の高いプロフェッショナルであることがすぐに伝わり相互の信頼感が醸成されていきます。
グローバル標準の経営管理手法や経営管理指標の話をするとすぐにピンときて、それが評価と報酬にフェアな形で結び付いていればモチベーション高く目標達成に向けたリーダーシップを発揮してくれます。筆者にとっては、サン・マイクロシステムズで、シリコンバレー本社のCFO機能幹部とインテグリティーと受託者責任(Fiduciary Duty)をベースに討議をした経験と重なるものでした。
このM&Aは、家電・商業・産業用モーター事業ならびに日本電産グループのトランスナショナル化進展の契機となったと思われます。
グローバルM&A、PMIに関わって25年間
三菱電機の米国ジョージア州の携帯電話端末の開発・製造子会社に勤務当時の1998年に構造改革の一環として製造事業をシリコンバレーのEMS(受託製造会社)のソレクトロンに譲渡し、委託生産を開始したのが、筆者のM&A経験の始まりです。それ以前では、英国赴任中の1990年に三菱電機が買収した英国のPCメーカー、アプリコットコンピュータ訪問の機会を得ます。所属事業本部は異なりましたが、バーミンガムの本社・開発センターやスコットランドの工場に赴き、クロスボーダーM&AとPMIについて学び、同時に異文化による相違点克服のハードルの高さを感じました。
その後、外資系日本企業に転じたのち、2000年にサン・マイクロシステムズ(現オラクル)の日本法人CFOの時には、サンによる米国企業買収に伴う傘下の日本法人の統合でシリコンバレー流の「90日間のスピードPMI」も経験しました。
2003年7月のドイツ製薬大手ベーリンガーインゲルハイム(以下BI)の日本法人(日本ベーリンガーインゲルハイム、以下NBI)の財務担当執行役員就任と同期して、当時NBIが約6割保有していた当時東証1部上場の大衆薬メーカー、エスエス製薬の非常勤役員に兼務で就任し、集中と選択戦略を推進しました。
2004年10月には、NBIによるエスエス製薬のPMIの加速をミッションに、エスエス製薬の取締役財務経理本部長としてNBIより移籍。移籍直後からアクティビストとの対応なども経験しました。
エスエス製薬では、当時約600億円の売り上げのうち約100億円を占めた医療用医薬品事業の久光製薬への譲渡(2005年4月完了)に続き、2005年8月に韓国の子会社(海東エスエス製薬)と2006年9月に富山工場を、いずれもCRO(医薬品開発支援)企業・シミックに譲渡し選択と集中戦略のめどをつけました(ちなみに、筆者の離職〈2008年1月〉後、公開情報に基づくと、エスエス製薬はNBIによる株式の公開買い付け〈TOB〉を経て2010年7月に東京証券取引所の株式を上場廃止、2011年にはNBIの完全子会社となります。そして、2017年1月1日には、BIの一般用医薬品事業とサノフィの動物用医薬品事業との事業交換に伴い、エスエス製薬はサノフィグループ入りをしています)。
筆者自身は、エスエス製薬の選択と集中戦略のめどづけに伴うミッション完了後、日本電産(現ニデック)に2008年1月に入社。日本電産でCFOを含む10年間の役員在任中には、30件余のM&Aが成立しています。
2016年6月からの約2年間は欧州に駐在しながら、京都本社に設置されたクロスボーダーM&AのPMI専門組織であるグローバルPMI推進統括本部の責任者として、欧州と米州の地域統括会社の責任者も兼務しながら、当時過去最大のM&A案件クロージング対応をはじめグローバルM&AとPMIに携わりました。