セグウェイで大儲け
から一転、大ピンチに

 不動産販売も軌道に乗ってきたある日、僕は「みのもんたの思いっきりテレビ」のニュースのコーナーで、すごい面白い乗り物を目撃するんですよ。アメリカで発明された商品で人が立ちながらそのまま移動していました。セグウェイです。eBayを見たら全米で5台目のセグウェイが出てたんですよ。1万ドルでした。どうせならこれ買って日本で乗ってみたいと思ったわけ。

 館山の実家で組み立てて、乗ってみたら普通に乗れるんじゃない普通にニュースで出てんのと同じように乗れるんだよね。これはすげえなと思って、おばあちゃんも普通に乗れる。これはみんなに見せないといけないと思って、「思いっきりテレビ」を放送していた日本テレビに電話をかけたら、日曜日で担当者がいませんと言われました。次にTBS、テレ朝、そしてフジテレビも同じこと言われた。そして、最後にかけたのがテレビ東京。「ジンジャー(当時のセグウェイの開発コード)をお持ちなんですか。その日の夕方のニュースに出したいから持ってきてください」と一社だけ対応が違いました。さすがテレ東だよね。

 次の日になってほら、担当者がいないので折り返しますって言った電話番号を置いてた他の局から全部電話かかってきて「昨日テレ東さんに出てたあれをお持ちなんですよね。うちもお願いします」という感じ。

 それで、これは日本に売らなきゃいけないと思いました。多分アメリカでまだ始まったばかりだから日本の代理店にすぐなれないと思いました。それでフジテレビの楽屋で、1ページのホームページを作り、そこからセグウェイの購入予約が取れるようにしました。

 テレビに出たこともあって、もう電話が鳴り止まなかったです。実は意外なお客さんがいて、最初に買ったのは日産自動車が4台でした。これはバラされるんだろうなと思いましたが売りました。あとは本田技研、大塚製薬、ゲームセンターとかToBの需要がかなりありました。

 一時期は相当の数を売ってましたね。もっと売りたいけど、eBayでしか買えないから限界がありました。そこである情報商材を見つけました。セグウェイが買える場所を教えますっていう内容で、フロリダにあるレクサスのディーラーの隣にセグウェイのディーラーがあると書いてありました。

 すぐそこへ飛んで、ディーラーを訪ねました。最初から代理店やりたいと言えば警戒されると思い、まずは一人のユーザーとして「何台まで買えるか」と聞いたら、アメリカ国内だったら何台でも売ると言います。英会話のオフィスをアメリカに持っていたので、そこに送ってから日本に送ることができます。

 1台が大体その当時5000ドルで売られて、当時のレートが1ドル100円ぐらい。私が87万円で売ってたので、1台あたり30万円ぐらい儲けるようなイメージでした。輸送費もそんなに高くないですからね。
 ある日 セグウェイの社長から直接電話が来て、「コロラド州で400台のセグウェイを持っているのは君か」と聞かれました。そして、何に使っているのかと聞かれて、日本にすべて売ってしまったことを正直に話しました。すると 彼は、セグウェイを全てリコールすると言いました。 システムに不具合が生じたらしく 当店回収して プログラムを書き換える必要があったのです。

 すでに売ってしまったものを繰り返すことは難しいと言ったら、 エンジニアを2日間だけ日本に派遣すると言われました。 悩んだ挙句、新橋のホテルの宴会場を貸し切って数百台のセグウェイを購入者から着払いで送ってもらい、エンジニアがその場でプログラムを書き換えるというオペレーションを組みました。 

 今でもそのエンジニアとは友達ですし、そのとき彼の上司だった人は、テスラに行って、今ではアップルの上層部にいます。モビリティとITの両方がわかる人間はそんなに多くいないですからね。アップルの上層部に行くような人でも、 リコールされた商品のプログラムを1台ずつ書き換えるというような地道な作業していたと思うと面白いですよね。

【何者?】世界で2番目に小さい国で首相補佐官になった日本人に学ぶ「頑張らない努力」北極でもビジネスをする和田さん 提供:和田泰一

 あんまり仕事のしすぎ当時の妻との喧嘩の質疑で、パニック障害になっちゃうんです。それで1回しようと思ったときあったな、新幹線に飛び込んじゃいたいと思ったときがありましたね。

 車の運転もできなくなったんですよ。最初のうちは何が起きたのかわかんなくて怖かったです。何を食べてもみんな吐いてしまう状態でした。要は壊れてしまったんですね。

 セグウェイや英会話も相変わらず続けたし、不動産も続けましたがすべてをゆっくりにしましたね。結婚していたときは1年くらい日本に住んでいたけど、別れてからは中国へ行きました。