「自分でやらない」勇気
高校のレポート課題は外注

 生まれは東京で、育ちは千葉の館山。幼少期から中学までは、ヤシの木が生えているような温暖な田舎で育ちました。

 父がアメリカ人で、母は日本人。今でこそ世界を飛びまわって外交やビジネスをしている私ですが、日本語が堪能だった父からは英語を教えてもらえませんでした。英語を学び始めたのは、周りの生徒と同じで中学校から。「Hi, Mike. Hi, Ken」と言わされた日のことは忘れもしません。

 父は医学部を途中で退学したものの、医療の知識を活かして医学書の翻訳をしていました。母は眼科医。医者の家系で育ちました。普通なら私も医者にされそうですが、母は「自由に好きなことやれ」という考えの人でした。その言葉を素直に聞き入れた私は医者になる道は選びませんでした。

 それで高校生になるとアメリカに渡りました。当時、通っていた学校は、中高一貫の私立でした。このまま、高校に進学してしまうと受験戦争に巻き込まれることは明らかでした。それなら、アメリカに3年ぐらい行って、帰国子女として帰ってくれば、簡単な試験で大学に入れると考えたのです。

 とにかく勉強が嫌いで......。どうしたら勉強しないでいい大学に入れるんだろうか、と中学生ながら真剣に考えました。受験は正面から受けたくない、でもいい大学には行きたい。このギャップを埋めるために戦略を考える。そしてなるべく少ない労力で最大の結果を出すという「てこの原理」型の思考は、中学時代から持っていたようです。アメリカでの高校生活でもビジネスをするようになってからも、この「てこの原理」は役に立っています。

【何者?】世界で2番目に小さい国で首相補佐官になった日本人に学ぶ「頑張らない努力」課題のレポートをアウトソーシングしていた頃の和田さん 提供:和田泰一

 高校生になっても英語が苦手だったので、課題のレポートはインターネット上で外注していました。あんまり綺麗な英語できちゃうと自分で書いてないことがバレてしまうので、綺麗な英語を修正する必要がありましたが。

 仕事を外注することは、今でもよく使っています。外交で必要な文章があったら、それを人やAIに書いてもらうこともあります。そうすることで、仕事でも「てこの原理」がはたらいて、たくさんの仕事をこなすことができています。

 「てこの原理」を活かすうえで重要なのがインターネットです。私はアメリカにいた高校1年生ぐらいからずっとインターネットにどっぷり浸かり、使いこなしてきました。テクノロジーを駆使してあらゆる障壁を取り払ってきたのです。今だとAI。一時は多くの人が触ったにも関わらず、最近では活用している人が減ってきている。早い者勝ちなのに、もったいないよね。

 結局、アメリカを気に入ってしまって日本には戻らず、そのままアメリカのコロラド大学に進学することにしました。

 アメリカの学校は最初の2年間は教養課程なので、学科を決めなくていい。しかし、いざ教養課程を終えて、学科を決めろって言われたときに、自分の行きたい学科が決められませんでした。やりたいことが多すぎました。人工衛星を上げてみたいとか、日本式のスーパーを作ってみたいとか、飛行機のパイロットになってみたいとか、それからトラックドライバーにもなってみたいとか、社長もやってみたいというように、ありとあらゆるものをやりたいわけですよ。だけど、そういう学科ってないじゃないですか。

 そのときに大学のアドバイザーに会いに行ったら、「ちょっと休学したらどう」と助言してもらいました。言われるがままに休学をして今年で20年以上も経ってしまいました。それ以来、ずっと「自分がやりたいこと」を探し続けています。