徳力 なので、朽木さんがサンプルとして正しいかは分かりませんが(笑)、ミレニアル世代の記者・編集者がメディアをどのように捉えているのか聞きたいと思ったんです。ちなみに、朽木さんがインターネットに初めて触れたのは、いつ頃ですか。
朽木 中学2年生のときなので、1999年でしょうか。映画監督の岩井俊二さんの作品が大好きで、彼がインターネット上で運営していた「円都通信」というサイトの「シナ丼」というシナリオを公募するコーナーに投稿していたんですよ。
徳力 では、インターネットに触れるのは、早い方だったんですね。その後も継続的に使っていたのですか。
朽木 いえ、高校時代は部活と勉強だけで…。大学入学までは触れてもいませんでしたが、ネットメディアの「デイリーポータルZ」は、昔から好きで読んでいましたね。当時のインターネットって、同世代の間ではもっとオタクっぽいというか、アングラとまでは言わないですが、マイナーなイメージのものだったんですよね。友人とは、話しにくいテーマだったんです。
徳力 もう一度、インターネットに深く関わり出すのは、いつですか。
朽木 大学で留年したタイミングです。2浪して群馬大学の医学部医学科に入ったら「目標を達成した」と感じてしまって、あまり勉強しなくなり…。4年生のときの試験がひとつだけ通らず、突然ぽっかりと1年間の空白期間ができました。そこで何をしようかなと思ったときに、中学生の頃に「シナ丼」に投稿するくらい、「文章を書く仕事をしたかった」ことを思い出したんです。
ただ、私は栃木生まれで、茨城育ちの群馬にいる大学生。どうすれば文章を書く仕事ができるのかが想像できず、インターネットで検索したんです。そこで、たまたま募集していた小学館のデジタル事業部にアルバイトのライターとして採用してもらいました。
徳力 何を担当されていたのですか。
朽木 当時は、Yahoo! JAPANのトップページに女性向けWebメディアや生活情報、エンタメサイトの枠があって、そこからのトラフィックを奪い合っていた頃です。シナリオを書きたかったはずなのに、気づいたら「元カレを振り向かせる5つの方法」といった記事をたくさん書いていました(笑)。
徳力 なるほど。大学生のときに、大手ポータルサイトからトラフィックを得る、いわゆるネットメディアの基本構造を学んだんですね。大学生からすれば、小学館のメディアで記事を書くなんて、すごい経験でしたよね。