彼らと同じように「87世代」にも、それまでの世代と違う感覚の変化があるのではないかと思っているんです。この世代の感覚は、この連載でこれまで話を聞いてきたバンクの光本勇介さん(1980年生まれ)、アルの古川健介さん(1981年生まれ)とも微妙に違う気がしています。
米良 たしかに80年代初めに生まれた世代とは、少し違う気がします。
徳力 前回、けんすうさんへのインタビューで面白かったのが、大企業はコミュニティをつくろうとしても、企業とお客さまを別の存在だと位置付けてしまうのに対して、真のインターネット企業は、お客さまを仲間として捉えているという話でした。
ただし、私のような昭和世代は、どうしてもお客さまは、おもてなしをする対象という意識が強く、本当の意味で腹落ちできていません。その点、クラウドファンディングは、サービスそのものをユーザーと一緒につくっていくものですよね。
米良 そうですね。お客さまは、仲間だという感覚は分かります。
徳力 私は、そうした感覚こそ、現代のマーケティング担当者が顧客とのコミュニケーションで持つべきだと考えています。今日は、米良さんの体験を深掘りすることで、昭和世代にとってのヒントを得たいと思っています。
出会いは、パラリンピアンの寄付集め
徳力 私が初めて米良さんとお会いしたのは、米良さんが大学生のときでした。たしか、2010年バンクーバーパラリンピックに出場するスキーチームへの寄付を集めるためのアドバイスを聞きに来てくれたんですよね。当時は、なぜ寄付を集めていたのでしょうか。
米良 きっかけは東京大学の松尾(豊)先生との出会いです。私が大学3年生のときに所属していたゼミの先生が松尾先生との共同研究を始めたんです。
当時、松尾先生は「SPYSEE(スパイシー)」という人物の検索サイトを運営していました。これはインターネット上にあるメディア記事などから自動で人物名を抽出して、ウィキペディアのように、その人物の情報を載せたページをつくるサービスです。
そうした活動から、将来はインターネットを通じて、本当はすごい実績を持っているのに組織の中で埋もれていた人にもスポットが当たるようになり、その人を応援できる世界になるのではないかと考えました。パラリンピックスキーチームへの支援は、その中のひとつです。選手とたまたまお会いしたときに、何度も優勝しているのに資金が集まっていないという事実を知って、それはおかしいと思ったんです。