徳力 当時、ものすごく強烈な熱量で説得された記憶があります(笑)。
米良 すいません(笑)。ただ、どちらかと言うと、私としては社会課題の解決に興味があったというよりも、テクノロジーが起こす変化で、今まで実現できなかったことをできるようにしたい、という思いが強かったんです。
「READYFOR」立ち上げ前の米国留学での経験
徳力 米良さんが大学生だったときは、まだクラウドファンディングという言葉さえ存在していなかったと思います。当初から、起業しようと考えていたのですか。
米良 いえ最初は、あくまでひとつのプロジェクトに参加しているという意識でした。とはいえ、自分でプロジェクトを組み立てて、さまざまな人の協力を仰ぎながら、全身全霊を尽くすという経験が初めてで、自分に向いているなと感じていました。
徳力 いつのタイミングで、これは自分が取り組むべきビジネスだと確信するようになったのですか。
米良 スタンフォード大学に留学したときですね。当時、米国でクラウドファンディングという事業が生まれ、注目を集めていたんです。
徳力 自分がやっていたことに名前があった、と。
米良 まだ定義や名前もなくて、マイクロファイナンスやソーシャルファンディングとも呼ばれていました。ただ、少なくとも米国で同じ概念が出てきたので、マーケットとして成立するかもしれないと感じていました。
徳力 留学中も関心を持ち続けていたのですね。
米良 はい、米国においてインターネット上で支援を募集したら数日で1000万円が集まるという、これまでは考えられなかった状況を目の当たりにして、自分もやるべきだと思ったんです。それがパラリンピックの寄付集めをした翌年の2010年で、大学院1年生のときでした。それから準備を進めて2011年3月に「READYFOR」をリリースしました。
徳力 法人化したのは2014年でしたよね。3年間はプロジェクトのままだったのですか。
米良 そうです。松尾先生が経営していた会社の一事業のサービスオーナーとして動いていました。当時は、会社の経営に興味はなかったのですが、「READYFOR」をこれからも成長させていきたいと思いましたし、徐々に経営に関して勉強する中で、いま独立しないと自分で買い取れなくなると思い、起業しました。
なぜ「応援してくれる人がいる」と確信できたのか
徳力 今でこそクラウドファンディングは広く知られていますが、当時は寄付の文化がない日本では難しいと言われていましたし、テック系スタートアップ起業がガジェット開発のための資金調達という観点で注目されていた印象です。その中で「READYFOR」は、最初からチャレンジする人を応援するという文脈を強く打ち出していました。