演出家・鴨下信一(1935~2021)の三回忌に当たる2023年。11月29日に、1934年生まれの脚本家・山田太一が他界した。没年85歳と89歳。日本文化史に大きな足跡を残した人生だったといえよう。二人はテレビドラマの草創期からクリエーターとして数々の名作を世に送り出してきた。映画産業が絶頂期から低下していく時代、そしてテレビ業界が誕生し勃興していく時代。二人はどのように創作の知恵を習得し、蓄積していったのだろうか(文中敬称略)。(コラムニスト 坪井賢一)
名タッグ山田太一と鴨下信一
すさまじい教養の身に付け方とは
「原作と脚本・山田太一、演出・鴨下信一」とクレジットされたテレビドラマ作品は膨大にある。代表作は、「岸辺のアルバム」(1977年6月~9月放映)と「ふぞろいの林檎たち」(1983年5月~7月)といわれている。後者は1997年のパート4まで続いた。青春群像劇で始まり、30代半ばの人生行路を描いた名作だ。
「岸辺のアルバム」は多摩川の水害を背景に、ある家族の崩壊の過程を描いたショッキングな連続ドラマで、今世紀に至るまでテレビドラマの傑作といわれている。筆者ももちろん見ていた。46年前の作品なのでストーリーの細かい点はうろ覚えだが、多摩川の岸辺の住宅が流されていく実際の映像と、主演・八千草薫の不倫劇に毎回、驚いたことを思い出す。
鴨下信一は1958年にラジオ東京(現在のTBS)に入社し、一貫してTBSの演出家として活動した。山田太一は同じ1958年に松竹の助監督試験に合格して入社し、映画監督を目指した。二人は日本文化史に足跡を残した偉大なクリエーターだったが、どのようにして創作の知恵を習得し、蓄積していったのだろうか。