世界に多大な影響を与え、長年に渡って今なお読み継がれている古典的名著。そこには、現代の悩みや疑問にも通ずる、普遍的な答えが記されている。しかし、そのなかには非常に難解で、読破する前に挫折してしまうようなものも多い。そんな読者におすすめなのが『読破できない難解な本がわかる本』。難解な名著のエッセンスをわかりやすく解説されていると好評のロングセラーだ。本記事では、リオタールの『ポストモダンの条件』を解説する。

読破できない難解な本がわかる本Photo: Adobe Stock

科学の発達による情報化社会において、知の形が変わり始めた。今までは、政治と知は結びついていて、世界にはストーリーがあると考えられていた。ところが、情報が交錯する世界では、常識が崩れてくる。未来の知はどのような形になっていくのか?

大きな物語は終わった

『ポストモダンの条件──知・社会・言語ゲーム』の序文は「この研究が対象とするのは、高度に発展した先進社会における知の現在の状況である。われわれはそれを《ポスト・モダン》と呼ぶことにした」という文から始まります。

 ポストモダンという思想の特徴は「大きな物語」(メタ物語)への不信感から始まります。

「大きな物語」とは、近代の世界観を支配してきた人間や歴史についての考え方のことです。

 たとえば、ヘーゲルの「歴史は理性的に進んでいく」やマルクスの「歴史は資本主義から社会主義・共産主義へと発展していく」といった進歩的な歴史観などです。それがなんだか古くなってきた……? というのがこの本の主張です。

 人類の歴史が何かに向かって進んでいくというのはワクワクしますが、そういった「大きな物語」はもうおしまいとされます。これは、科学の進歩による情報化社会における知が広まったからです。

「IBMのような企業が、地球周回軌道の或る帯を専有して、そこに通信衛星そしてまたデータ・バンク衛星を載せることが認められたとしてみよう。その場合、いったい誰がそれを利用するのか。いったい誰がチャンネルやデータに禁止制限を設けさせるのか。国家だろうか」(同書)

 このように第1章で現代の問題を提起しておき、章が進むにつれて、テクノロジーが「為政者」によって「正当化」され、科学も政治も関連していることなどが示されます。

小さな物語の時代ってスマホ社会のこと?

「社会の制御機能つまり再生産機能は、将来にわたってますますいわゆる行政官の手を離れて、自動人形の手に委ねられることになるだろう」(同書)。

「……かつて国家=国民、党、職業、制度などによってつくられていた誘引の極がその誘引力を失う」(同書)

 進歩史観やマルクス主義によると、歴史のコースがあらかじめ決まっていましたが、もはやそういう「大きな物語」は目標になりえず、「生活の目標は個人それぞれに委ねられ」ます(同書でそれは「大きな物語の失墜」と表現されます)。

 個人はかつてなかったほど複雑で流動的な諸関係の織物の中に捕らえられているので、「若かろうが老いていようが、豊かであろうが貧しかろうが、男であれ女であれ……コミュニケーションの回路の《結び目》のうえにつねに置かれている」とされます。

 だから、古い価値観が崩れ、人はそれぞれの物語を生きるようになるのです。教育機関も形態を変えていき、アマチュア的なグループから新発見などが生まれます。

 第二次世界大戦後の技術・テクノロジーの飛躍的発展により、「行動の目的から行動の手段へ」と向かいました。

 情報科学がますます進歩していく中で、リオタールの予言は、現在の人工知能の発達として的中しているようです。社会の情報化のなかで「言語ゲームは、その時点での完全情報ゲームとなるだろう」。

「大きな物語」は世界が進歩していくというシナリオをもっていましたが、それはあまりに大雑把すぎます。

 情報化が進むと「小さな物語」が拡散することになります。この『ポストモダンの条件』では、量子力学、不完全性定理などにもふれられています。

 ポストモダニズムとは、そのような状況の中で人がどう生きていくのかということや、その中で、どうやって「新しい物語」を見出していくのか、あるいは、物語なんて必要なしに新しい道を模索するのかなど多様な方向を示唆してくれる思想です。