結婚している人=一人前という固定観念
でも「結婚しない」という言い方はまだしも「結婚できない」という言い方は、ニュアンスとしてちょっと気になります。
「何々ができる」とか「何々ができない」という言い方は、何か能力に長けていたり、能力が欠如したりしている際に使われがちな言葉だけに、なんだか引っかかるのです。数学ができる、数学ができない、英語ができる、英語ができない、逆上がりができる、逆上がりができない……というような「能力」をジャッジするときに使われる言葉だからです。
「結婚」って「能力」なのでしょうか? もしも結婚することがその人の「能力」なのであれば、独身で一人で生きていくことも同様に一つの「能力」だと思います。
例えば独身で一人暮らしをしていると、同居人がいるよりも生活費が割高になりますし、親からお金の援助を受けていない限り、金銭的なことも全て本人に責任があるわけです。お金の面だけを見れば、「独身の一人暮らし」のほうが「結婚している人」よりも能力が高いという見方ができるのではないでしょうか。
「結婚できる」「結婚できない」はもしかしたら、私が上に書いたような「具体的な能力」を指すものではないのかもしれません。結婚している人が「なんとなく」一人前と見なされ、結婚しているほうが「なんとなく」親も安心する。論理云々ではなく、これは空気の問題です。
でもそういった雰囲気に染まるも染まらないも自分次第。無言のプレッシャーのようなものにとらわれ過ぎると、知らないあいだに自分の中でストレスがたまってしまいます。ここは、自分に対してはっきりと「私は自分流で行きます!」と宣言しましょう。声に出して言うのもよし、日記に自分用の記録として残すのもよし。
「あの人は結婚できないよね」「あの人は普通に結婚できそうだよね」という会話が聞こえてきたら、聞き逃してしまうのが一番。ドイツの言い回しに“Etwas geht zum einen Ohr rein, und zum anderen Ohr wieder raus.”(和訳「片方の耳から入ったものは、もう片方の耳から出ていく」)という言い回しがあります。要は片方の耳から入ってきた雑音は、自分の中でためずに、もう片方の耳から出してしまえばいいのです。いい意味で「聞き逃しができる」女性になりたいものです。