紫式部Photo:PIXTA

昔からよく言われていることだが、『源氏物語』におけるセックスは、今ならレイプとされるようなものがとても多い。そして、紫式部は“被害者”の苦悩もこれでもかときっちり描いているのだ。はたして紫式部は読者に何を伝えたかったのか?本稿は、大塚ひかり『やばい源氏物語』(ポプラ社)の一部を抜粋・編集したものです。

14歳で源氏に犯され
苦しんだ紫の上

 これは、昔からよく言われていることですが、『源氏物語』のセックスって、今ならレイプとされてしまうものがとても多いんです。

 こう言うと、今の価値観で測るのはおかしいと反論する人がいます。

 確かに一理ありますが、たとえばセクハラやDVということばがない昔にもセクハラやDVは確実にあって、むしろ、そうしたことばができたあとよりも罪の意識が薄かっただけに、より多くのセクハラ・DV案件があったとさえ言えます。

 児童虐待にしてもそうで、年々虐待数が増えているのは実際に虐待が増えているのではなく、親が子を殴ったり罵ったりして自尊心を奪うことは「虐待である」という認識が広まって、通報数が増えているからです。

 つまり、昔はもっと虐待は日常茶飯事でした。現に私の子ども時代の昭和30年代から40年代にかけては、家の外に放り出されて泣いている子や、ご飯抜きという子は多かったものです。私も家の外に出される、叩かれる、怒鳴られるということはよくあって、今ではあれは虐待だったと認識している次第です。

 確実に言えることは、加害者の罪の意識が薄かったといっても、被害者の苦悩が弱かったとは限らないということです。

『源氏物語』が凄いと思うのは、こうした苦悩もちゃんと描いている点です。

 たとえば紫の上は10歳のころ、源氏に拉致同前に屋敷に迎えられたあげく、14歳になって、女らしくなった姿に、“忍びがたく”なった源氏によって、無理に犯されてしまいます。

 それまで源氏と紫の上は共寝をしていて、10歳のころにも、下着一枚で源氏に抱かれていたりはしていたんですが、いわゆる「実事」はなかった。

 それで、はた目には、それまでとの“けぢめ”(違い)が分からぬ状況の中、

“男君はとく起きたまひて、女君はさらに起きたまはぬあしたあり”(「葵」巻)

 と、物語は言います。

 男君=源氏は早々に起き、女君=紫の上は一向に起きない朝があったのです。