中世以来“尻切れトンボ”と言われている、儚くも無情感漂う源氏物語のラスト。紫式部は、なぜハッピーエンドやドラマチックなラストにしなかったのか。そこに込めた紫式部のメッセージを考察する。本稿は、大塚ひかり『やばい源氏物語』(ポプラ社)の一部を抜粋・編集したものです。
どこか煮え切らない
『源氏物語』のラスト
『源氏物語』のラストは中世以来、尻切れトンボと言われています。
どんなラストかというと、浮舟の出家後、その生存を知った薫が、横川の僧都のもとを訪ね、仲介を依頼します。浮舟を助け、出家させた僧都は、
「それがし、出家の身でそんな手引きをすれば、必ず罪を得るでしょう」と断りますが、薫は、
「自分は俗人の姿で今まで過ごしているのが不思議なくらいなのです」
と、幼いころからの信心深さや、自分の母・女三の宮のために俗世で生きているうち位も高くなってしまったこと、浮舟の可哀想な母親の嘆きなどを晴らしてやりたいことなどを、得々と語ります。
そして僧都が、浮舟の異父弟である可憐な小君に目をとめて褒めたところで、小君を使いとして、浮舟にコンタクトを取ってほしいと言う。女犯の罪は犯していなかった僧都ですが、美少年には心がゆるんでしまったのでしょう。
とうとうこの小君を使いにし、浮舟に手紙を書いて、
「もとからのご縁に背くことなく、殿の愛執の罪が消えるようにして差し上げて、一日の出家の功徳ははかり知れないものですから、やはり仏を頼みになさるように」
(“もとの御契り過ちたまはで、愛執の罪をはるかしきこえたまひて、一日の出家の功徳ははかりなきものなれば、なほ頼ませたまへ”)(「夢浮橋」巻)
と言ってきます。
このことばの意味については、浮舟に「還俗」つまり尼の身から俗人に戻るよう勧めたという説と、そうではないという説があって議論が絶えません。
さて、浮舟のもとにやって来た小君は、もう一通、薫からの手紙も持参していました。
浮舟はこの使いの弟を「会いたくない」と突っぱねますが、妹尼にせっつかれ、几帳ごしに対面します。
小君の持参した薫の手紙には、
「まったく言いようもなく“さまざまに罪重き御心”(さまざまに罪深いあなたのお心)は、僧都に免じてゆるしてあげるとして、今は何とか、あのあきれた昔の夢語りだけでもしたいと急がれる心が、我ながらいけないことと思われて、まして人目にはどんなにか……」
といったことが書かれていました。