実在の天皇から嫂(あによめ)まで、さまざまな人間を「源氏物語」の登場人物のモデルにしたという紫式部。そのせいでトラブルもあったといい、なんと紫式部の兄嫁がスケベな老女房・源典侍のモデルにされたせいで辞表を提出した、なんて事件もあったそうで……。本稿は、大塚ひかり『やばい源氏物語』(ポプラ社)の一部を抜粋・編集したものです。
実在の人物がモデルに!?
中には存命中だった人も
リアリティということでいうと『源氏物語』の登場人物は、多数の実在の人物がモデルにされていると言われています。
主人公の源氏は、貴族政治の頂点を極めた藤原道長をはじめ、醍醐天皇の皇子で源氏を賜姓され、左大臣として活躍するものの、失脚して大宰府へ左遷された源高明、色恋に生きた在原業平、その兄で須磨で謹慎することになった在原行平等々、モデルとされる人物は多々います。
また、源氏の父・桐壺帝は醍醐天皇がモデルとされ、『源氏物語』では死後、地獄の責め苦を受ける中、須磨で謹慎する源氏を案じ、その夢に現れます。一方、醍醐天皇にも堕地獄説があり、『北野天神縁起』では、菅原道真の祟りで地獄に墜ちた天皇を、僧の日蔵が訪ね、蘇生してその話を伝えるという設定になっています。
宇治十帖の“横川の僧都”に至っては、同名の呼び名のあった同時代の源信がモデルとされています。横川の僧都が宇治十帖に登場した時は60歳余りで、50代の妹尼、80代の母尼がいるという設定ですが、
「この僧都は源信をモデルにしたことはほぼ間違いないところである。また妹も安養尼と推察される」(石田瑞麿校注『源信』解説)
といいます。
醍醐天皇は『源氏物語』ができる78年ほど前に死んだ人です。それに対して“横川の僧都”こと源信は、『源氏物語』が書かれたとされる1008年にリアルタイムで生きていた。宇治十帖が書かれたのはそれよりあとかもしれませんが、いずれにしても、当時の人にとっては「今の人」です。
醍醐天皇をモデルにしたと思しき桐壺帝が出てきた時点では、「これって昔の物語なんだな」と思って読み進めていたのが、宇治十帖に至って“横川の僧都”が登場すると、「これって今の物語なんだ!」と、ストーリーが一気に身近に迫ってくるわけです。
実在の人物をフィクションに登場させるという手法は、現在でも行われていることで、古い例ですと、漫画『巨人の星』には巨人軍が出てきて、監督も川上哲治監督です。