やがて源氏も「この姫君(紫の上)を、今まで世間の人もどこの誰とも知らないでいるのも見映えがしない感じだ。父宮にお知らせしよう」と配慮する。

 紫の上の“御裳着”(成人式)のことも至らぬことなく準備して、すべてがハッピーという感じになっていくんですが、当の紫の上は、

「すっかり源氏の君を嫌がって(“こよなう疎みきこえたまひて”)、長年、すべてを信頼して、まとわりついていたとは、あきれたことだった、と、ひたすら“悔しうのみ思して”、まともに目も合わせない」

 源氏が冗談を言って戯れてくるのも、

「“いと苦しうわりなきものに思し結ぼほれて”(ほんとにつらくてたまらず、塞ぎ込んで)、以前とは打ってかわった有様」

 と描写される。

 それを源氏は可愛くも可哀想にも思われて、恨み言を言いながらその年も明ける。

 やがて紫の上との結婚は世間の知るところになって、

「西の対の姫君の“御幸ひ”(ご幸運)を、世間の人も“めできこゆ”(賞賛する)」(「賢木」巻)

 乳母は喜び、父宮とも交流し、ただ継母だけは妬ましく、穏やかならぬ気持ちという感じで、紫の上の結婚話はめでたしめでたしと、ひとまず幕が閉じられます。

書影『やばい源氏物語』(ポプラ社)『やばい源氏物語』(ポプラ社)
大塚ひかり 著

 いかがでしょうか。

 当時の価値観としては孤児同然の紫の上が源氏の正妻格になるのはあり得ないほどの幸運です。そのあたりを押さえながらも、女が「非常に嫌がっていた」「長年、父のように慕っていた源氏に犯され、激しいショックを受け、嫌悪感を抱いた」ということがこれでもかときっちり描かれている。

 今で言えば、養父に性的虐待を受けた末に結婚させられたわけで、傷つくのも無理はありません。

 当時はそうした観念は少なかったにしても、『源氏物語』は女側の痛手をしっかり押さえている。

 紫式部は父に犯された女をどこかで見たのか……と、思えるほどです。