運がいい人になる「資格」はみんな持っている
私は小さな出来事もすべて奇跡だと思っています。身の回りにあふれている「偶然」という言葉を、すべて「奇跡」に置き換えて考えることができれば、これ以上ハッピーなことはないだろうと思うのです。
人智の及ばない遠い存在(神様なのか仏様なのか、はたまたサムシンググレートなのかはわかりませんが)に導かれた結果、自分にとってハッピーな出来事が起きたとき、人はそれを奇跡と呼びます。自分の周りには、大きい奇跡、中くらいの奇跡、小さい奇跡とあると思いますが、小さい奇跡というものは結構たくさんありませんか?
「偶然」を「奇跡」に置き換えて、そしてそれが少しでも自分にとってハッピーな出来事なのかを振り返ってみれば、奇跡のポイント数が一気に増えませんか? 大きい、小さいで無意識に分けてしまっているだけであって、あなたには1日に何度も奇跡が起きている。
1日に何百本と走っている電車の中で、何年も会ってなかった友人と偶然再会をする。それも15両もある中の一つ、さらに4つあるドアのうち1つの前で。それを単なる偶然と言う人もいるだろうけど、それを奇跡であると考えるだけで、旧友との出会いが、5倍も10倍も嬉しいことになるんじゃないでしょうか。
そして、「偶然」を「奇跡」だと考えられるようになると、あなたの「運」は格段によくなります。運というのはいわば、奇跡と一緒でそのへんにたくさん転がっているものです。
よく、「運をつかむ」「運の神様の前髪をつかむ」などと言いますが、要するにつかむ行為をしなくてはなりません。しかし、偶然を奇跡と認識できているかというお話と同じで、そのへんに転がっている小さな運たちを、自分に幸運をもたらす運であると認識しないことにはつかむことなどできないのです。
つまり、運がいい人というのは、自分の周りに常にアンテナを立て、運を見落とさないようにし、そして自分の人生にプラスになるものだと思うことができる人。だから世の中のすべての人が、「運がよくなる資格」というものは生まれながらに持ち合わせているはずなのです。