ほぼ間違いなく、「私に1円も入らないのなら結構です」と断ることでしょう。なかには「素晴らしい活動だ」と引っかかってしまう人もいるかもしれませんが、「いいことをする代わりに手数料が3万円かかりますから、手元に戻るのは97万円です」と言われれば、騙されることはないはずです。

 詐欺に遭い、お金を騙し取られてしまった人の多くが、「怪しいと思っていたんだけどね」という言葉を口にします。では、なぜ、最初は怪しいと思っていたのに、最終的に失敗してしまうのでしょうか。それは、物事を勘ではなく、欲の眼鏡で見てしまっているからです。色々な話を聞かされるうちに、薄い色の付いた欲の眼鏡を知らぬ間に何枚もかけさせられ、5枚も重なったときには色が濃くなり、前が見えない状態になっている。

人間に備わっている「第六感」とは「勘」のことである

 初めに第六感で感じた勘を大事にしなければならない理由は、勘というものの正体を知れば理解ができます。知識として持っている情報、その情報を分析する力、それともう一つは自分の経験値。これらがそろって初めて、瞬間的に勘が働くのです。

 我々人間に備わっている勘というのは、ただ単にこのサイコロを振ったら何の目が出るかといったような運任せのものではありません。数字を書いた鉛筆を転がして試験に合格する人なんていないのです。

 勘を磨くには訓練が必要です。ただそれは、チーターやライオンのように勘を研ぎ澄ませるという話ではなく、人間の場合、常に勘が働くように準備をしておかなければならないということです。

 まずは情報を仕入れること。「世間では今、オレオレ詐欺というものが流行している」というニュースを見る。自分には一人息子がいるが、もう何年も会っていないので詐欺師からすると狙い目かもしれないという分析。近所の独居老人が最近オレオレ詐欺に引っかかってしまったという経験。

 そしてある日突然、知らない男から電話がかかってきて、受話器の向こうで「オレ、オレなんだけどさ……」という声が聞こえたときに、一瞬で勘というものが働くのです。

運の良さのハードルを下げると人生が一変する

 少し視点を変えて運というものを考えてみましょう。運の捉え方次第で、人生の幸福度は大きく変わるかもしれません。

 まず、運というものは一体何なのか。それは、ミラクルな出来事がたくさん起こること。または、チャンスが自分のもとにたくさん舞い降りてくること。

 両者を日本語に訳してみましょう。「ミラクル」は「奇跡」と訳すことができるので、奇跡な出来事がたくさん起きれば運がいいと言えますよね。「チャンス」はたまたまめぐってくる事態、いわば「偶然」です。意図していなかった物事が起きたり、出会いが起きたりすることです。でも、偶然がたくさん舞い降りてきても、それを運がいいと言う人はあまりいないですよね。

同じように、日本人が「チャンスに恵まれた」と言うとき、果たして「偶然」と訳すでしょうか。おそらく日本人は、「こんなことが起きてほしい」と思っていたところにちょうど求めていたものがやってきたときに、「チャンスに恵まれた」という言葉を使います。つまり、私たちはチャンスという言葉を「偶然」という意味ではなく、「奇跡」という意味で捉えているということです。

そうなると、私たちにとっての「運の良さ」というものは非常にハードルが高く、予想もしていないミラクルな出来事が起きない限りは、「自分は運がいい」などと思うことができなくなっているのです。