膨れ上がる社会保障コストは、先進国においては大きな問題であり、安楽死にはその議論が必ずつきまとう。だが、社会に利益のある者を残し、お荷物を処理する発想の果てにはなにが起こるのか。安楽死がすでに合法化された欧米諸国の事例から、日本はなにを学ぶべきだろうか。本稿は児玉真美『安楽死が合法の国で起こっていること』(ちくま新書)の一部を抜粋・編集したものです。
社会のお荷物になったら
その延命は無駄なコスト
安楽死をめぐる議論には、医療をはじめとする社会保障コスト削減の議論が付きまとっている。
カナダで安楽死が合法化された直後にはカルガリー大学の医師らが医学雑誌で、毎年1万人がMAID(医療による死亡幇助)で死ぬと予測したうえで1億3000万ドルの医療費が削減できるとの試算を報告した。
さらに対象要件緩和が議会で審議された際には、カナダ議会予算局からデータが提出された。それによると2016年の合法化によって削減された医療費は8690万ドル。審議中の要件緩和によってさらに1億4900万ドルの削減が見込まれていた。
ベルギーの安楽死医療の実態が詳細に記されている『Euthanasia』(*1)の著者らも、ベルギーの安楽死に経済問題が関わっていることを指摘している。「経費削減が必要だ、医療はカネがかかる、というメッセージが政治からは繰り返し送られてくる。ここでも我々は目を開いて、老いること、衰えること、病むこと、そして死をどんどん許容しなくなっていく社会に自分たちが生きている事実を認めなければならない」。
その社会の空気は医療現場にも色濃く反映され、「もう人々はゆっくり死ぬことを許されない」。そして、「病院の中でも忙しすぎる部署では、治療が長引いている最終段階の患者はスタッフからお荷物視されたり、医療を『本当に必要としている』患者のためにベッドがすぐにも入り用なのに、と問題そのものとみなされたりしていることもある」。
このように社会からの経済的な要請の圧がかかった医療現場で、上記のように安楽死の日常化が進行しているのだとしたら、そこで何が起こっていくかは想像に難くない。
『Euthanasia』の第1章「すべり坂症候群(*2)」の著者で、緩和ケアチームで長く働き、緩和ケアの教育にも携わってきた看護師、エリック・フェルメールは「すべり坂症候群はまさしく現実となっている。立法府は黙認しているとしても、終末期医療では、安楽死は医療職から効率的にかつ非合法に提案されている」と書いている。
ベルギーの医療職を中心とする9人が、安楽死をめぐって医療現場で何が起こっているかを詳述した共著。2021年に英訳された(“Euthanasia: Searching for the Full Story: Experiences and Insights of Belgian Doctors and Nurses”)。和訳も近日刊行予定。
*2
すべり坂=いったん合法化されれば対象者が歯止めなく広がっていくこと
社会が医療に「殺させ」ている?
良心の呵責に苛まれる医療従事者
仮に安楽死が患者の「権利」であるとしたら、その権利を保障する責任は一体だれが負うのだろう。それは国の意志として、あるいは社会の総意として医療に「殺す」ことを認め、委ねるということなのだろうか。