「生きるに値しない命」を
社会の総意として殺した黒い歴史

 もうひとつ、国家の意志として、あるいは社会の総意として医療に「殺す」行為を認め、委ねるということについて考える際に知っておきたいことがある。人類の歴史には、政治権力と医療とが手を結んで犯してきた数々の人権侵害が刻まれている。

 ナチスの障害者抹殺計画「T4作戦」(1939年10月~1941年8月)では、国の合法的な施策として医療職が障害のある人を選別し、抹殺した。

 対象となったのは、先天性精神薄弱、精神分裂病、そううつ病、遺伝性てんかん、舞踏病、遺伝性の盲、遺伝性のろう、遺伝性重度身体奇形、重度アルコール依存症の人など。「退院の見込みがあるか」「労働者として使えるか」「生きるに値する命か」「生きるに値しない命か」などの指標によって選別され、20万人以上が殺害されたと言われる。

 周囲の無理解や選別した専門職の個人的な偏見によって、ガス室に送られた人もいたことだろう。覚えておきたいのは、ヒトラーが1941年にT4作戦中止を命じた後も医師らによって選別と抹殺が続けられたという事実だ。

書影『安楽死が合法の国で起こっていること』(ちくま新書)『安楽死が合法の国で起こっていること』(ちくま新書)
児玉真美 著

 障害のある人への強制的な不妊手術でも、医療界は積極的に役割を担った。日本でも現在多くの訴訟が起こされており、「当時は合法だった」と正当化する人たちもいるが、医師の個人的な偏見により当時の法律の範囲をはるかに超えて多くの障害者たちが、時に法律で認められていない手段での手術をされたのは事実である。

 ナチスによる障害者の安楽死は「強制」だった、今の安楽死は「自己決定」による「自発的」なものだから安全で、社会的弱者へのリスクなどありえない、と言って終わっていいのだろうか。

 すでに見てきたように、現状でも安楽死の「自己決定」原則はもはや崩れかけている。医療の権威性には常に政治的権力によって利用されるリスクがあるということは、慎重に考えておきたい。