「私の気持ちも知らないくせに」
誰にも伝えられなかった思い
単色の背景に無表情で写っている証明写真。クラスに同姓同名が必ず一人はいそうな、よくある名前。経歴といっても数行のみで、余白を多く残した履歴書には、彼女の見せる様々な表情や好きな食べ物、好んで歌った歌、そうなりたいと願っている人物や愛する人の横顔の記憶などは、何一つ書かれていない。
テントの後ろに何冊か本があった。この世にキャンプだけをしに来たかのようにシンプルを極めた生活を送る彼女のことを、唯一そばで見守っていた本だったのだろう。
『何もしない権利』
『何より大切なあなただから』
『幸せがとどまる瞬間』
『本当にちょっとだけ泣いた』
『私の気持ちも知らないくせに』
すべてが心が疲れてしまった人へ向けた本だ。本屋でこれらを見つけ、家、あるいは彼女が家と呼んでいたキャンプテントに持ち帰って読もうと代金を支払うとき、いったい何を考えていたのか。テント内でランプの火をつけ文章を目で追っているとき、どんな気持ちに浸っていたのか。
キム・ワン(著)蓮池 薫(翻訳)
誰かが彼女の思いを少しでも聞こうとしていたら、自ら命を断とうなどと思わずにそのまま30歳を迎え、「大切なあなた」に出会って恋に落ち、たまに泣くことはあっても、幸せな時間の中で生きていけたのではないか。何もしなくても幸せな人生って送れるんだと、肩の力を抜いて過ごせるようになる未来もあったのではないか。
私の気持ちも知らないくせに、私の気持ちも知らないくせに……。
彼女の気持ちを何一つ知らないくせに、無責任な疑問を心の中で浮かべて勝手に泣きそうになっている自分に嫌気がさし、本を布袋に押し込んだ。
今日、彼女を見守っていた本すらも持ち出されてすっかり空き家になるこの部屋にも、夜の暗闇は押し寄せてくる。