残されたものから見えた
彼女の日々と人生

 ベランダには、引っ越しに使う黄色いポリプロピレン製のボックスが折り畳んで重ねてある。数えてみると5つだ。それぞれのボックスの隅についているフィラメントテープがすぐにでもはがれ落ちそうな状態を見ると、何度も引っ越しに使われたことが手に取るようにわかる。

 彼女の暮らしのすべてが、この5つの箱に凝縮しているかのようだった。本格的な引っ越し業者ではなく、個人の運転する軽トラックか小さいワゴン車に荷物を載せ、安下宿からワンルームマンションへ、地下部屋から階段の多い屋根部屋へ、転々としてきたのだろう。

 居間のテントからトイレまでの床の上には血液がこびりついている。不快なラベンダーのにおいに耐えながら、おもむろに身をかがめて床を拭く。トイレの電灯スイッチがある壁にも乾いた血痕がある。

 彼女はトイレの天井に延びたガス管で首を吊って命を絶ったようだ。血痕を拭く手を休め、床に座ってガス管を見上げる。そして彼女の気持ちになってこの空間を見下ろしてみる。

 この場所から首を吊ったなら、人生最後に彼女が目にしたものは、これから私が解体しようとしているあのテントのてっぺん辺りだろう。不意に押し寄せる人間の想像力は、何と残酷なのだろう。

 生活のすべてを眼下において人生を終わろうとしている彼女の心情は、どうだったのだろう。このすべてのことがある日、彼女と私がともに見た夢、覚めればただ笑って済まされる、一つの取るに足りない夢だったら。

 カバンの中から履歴書が出てきた。彼女は高校卒業とともに大企業系列の携帯電話部品工場で働いた。5年勤続して、またほかの大企業の工場に移り、そこで数年間働いた。2年後には30歳になるはずだった。