『学問のすすめ』が示唆する、
変革期に消滅する3つの古い勝者

 明治維新直後の方向感を模索する日本国内で、10人に1人が読んだとされる大ベストセラー『学問のすすめ』は、日本の近代化に多大な影響を与えます。

 維新の立役者の一人である西郷隆盛は、諭吉の書籍を愛読していたと言われており、日露戦争で活躍した秋山好古陸軍大将は(日本海海戦での参謀、秋山真之の兄)諭吉を尊敬しており、晩年を教育者として過ごしています。

『学問のすすめ』は、時代の変革期には過去勝者だった3つの存在が敗北することになると示唆しています。悲惨な運命を辿るのは、どのような存在なのでしょうか?

(1)古い身分制度に依存する者

 諭吉は古い身分制度に依存することで成立していた権威が、新時代には無意味なものになると指摘しています。幕府と武士階級は身分制度に固執したことで、新しい時代の問題解決能力を失っており、黒船以降の大変革に対処できずやがて日本から消滅します。

(2)実際の効果を失った古い学問に固執する者

 幕末期にすでに効果を失った時代遅れの学問に対して、諭吉は人間の日常に役立ち、今日の問題解決ができる学問を「実学」と呼んで新たに定義しています。古い定義の学問に固執したものは、学んだことがすでに効果を失っていることで、長い修養を積んでも自身の生計すら立てることができず、周囲や国家に貢献できる人間に成長することができない。逆に、今日の問題解決が可能な「実学」を優先的に学ぶ者こそ、新しい時代に自分を生かす活躍の場を得ることができるとしています。

(3)直面する問題に当事者意識のない個人・集団・国家

 戦国武将の今川義元(駿河)が、織田信長の合戦で討たれたあと、今川軍は蜘蛛の子を散らすように四散して、あっけなく今川軍は滅びてしまいました。一方で、フランス軍はプロシアとの普仏戦争でナポレオオン3世が捕虜になったのちも激烈な戦闘と抵抗を続け、国家としてのフランスを維持することができました。フランス人は直面する問題について国難を自分の身に引き受けて、自ら戦ったからです。

 現在、新しく直面する問題に当事者意識のない個人、集団、国家は、誰かから指示を受けないと動けず、頭も使うことがありません。結果としてこのように当事者意識のない集団は、指示をする指導者が有効性を失うと、一気に瓦解してしまうのです。

 これら3つの存在は、昨日と同じ今日が続いていく限りは、ある種の勝ち組であったと考えることもできます。古い身分制度や権威にしがみ付いても問題が起こらない平穏な時代、過去の学問を学んでも、その学問が実用として効果を発揮してくれる時代、当事者意識がなくとも、周囲や指導する人になんとなくついていけば安泰だった時代、そうした古き時代の勝者が、新しい問題や変化に対処できないとき、過去に依存していた存在はすべて敗退することになります。

 この変化が一つの業界で行われるなら、ビジネス上のイノベーションと私たちは呼びますが、国家規模で起こった場合、大変革期と呼ぶ歴史の一ページとなるのでしょう。江戸末期には、西洋砲術(大砲の技術)と日本国内の砲術には相当の性能差が存在し、西洋列強と戦闘になった薩英戦争や下関戦争では、薩摩藩と長州藩が共に敗退しており、江戸幕府も西洋列強との接触では問題を解決することができず、1858年には不平等条約といわれる日米修好通商条約を締結しています(同条約の解消には約40年の月日がかかった)。

『学問のすすめ』は刀を指したサムライの時代から、ガス灯が煌めく明治への大変革を成し遂げた時代を代表する啓蒙書です。リアルタイムで日本と世界の劇的な変化を体験した福沢諭吉は『学問のすすめ』を通じて、現代の私たちに変革期に消えゆく存在がなんであるかを、改めて教えてくれているのです。