学問は生き残るための武器である
諭吉は『学問のすすめ』第10編で、「今の我が国の陸海軍が西洋諸国の軍隊と戦えるか、絶対に無理だ。今の我が国の学術で西洋人に教えられるものがあるか、何もない」と述べています。この箇所を読むだけでも、戦後の長期的な繁栄のあとで、すっかり自信を喪失した現代日本と、明治維新直後の社会状況や庶民の精神性に類似点があることがわかります。
諭吉は「ただただ外国勢力や西欧の科学文明を恐れているのではダメで、日本という国家の自由独立を強化することこそ、学問をする者の目標である」と説きます。学問に励み知恵を得るのは、国内で競うためではなく、外国人と知の戦いで勝ち、日本人が日本の国家的地位を高めるためである、とまで言っているのです。
面白いのは、諭吉が1860年、徳川幕府の軍艦である咸臨丸で太平洋を横断し、アメリカを訪問した際の話です。各地で大歓迎を受け、日本人が好きな魚が毎日用意され、風呂も沸かしてくれるなど日本の習慣を理解した最大限の歓待を受けました(諭吉は現地で接したアメリカ人の、フェアで公正な精神にも大いに感銘を受けています)。
しかし、訪問先でさまざまな科学技術や先進的な工場を紹介されたとき、アメリカ人は当時の日本人が夢にも思わない先端技術を紹介したつもりでしたが、諭吉自身はすでに数多くの洋書を研究読破していたため、「テレグラフ」「ガルヴァニの鍍金法」「砂糖の精製術」など、科学技術に関しては知っていることばかりで、少しも驚きませんでした。「無知」が知らない存在を畏怖させる一方、「適切な学問」で必死に努力することは、人に深い自信を植え付けてくれることを、諭吉自身も体得していたのかもしれません。
当時は日本国内の古い社会制度が崩壊し、同時に西欧列強に最短で追いつく近代国家の建設に日本人全体で邁進した時代です。諭吉のメッセージは、新しい時代に不安や恐れを抱く国民を励まし、勇気を与え、日本の国家的自主独立を維持しながら、見事な近代化を成し遂げる、日本人の強固な精神的支柱となったのです。