写真が好きになって高いカメラを買ったのに、結局使わなくなってしまうケースがあります。「これならスマホのほうがいいじゃん」という声もよく聞きます。初めてカメラを買うときに、どんな基準で判断すべきか悩ましい方も多いのではないでしょうか。
そこで、写真家のワタナベアニ氏が物語形式で展開する異色の新刊『カメラは、撮る人を写しているんだ。』から、初心者にちょうどいいカメラの選び方を説く一節を紹介します。「カズト」という初心者が、「ロバート」という写真家とカメラ屋で話をしている場面です。(写真・構成/編集部・今野良介)
最初にどんなカメラを買えばいいのか
「ここに並んでいるカメラのメーカーって、それぞれどういう違いがあって、どれを買うのがいいですか」
「どこでも一緒だ」
「持ってみると、重さやサイズがかなり違いますね」
「手の大きさは人それぞれだし、毎日持ち歩くものだから自分の感覚にフィットするものを選べばいいんだよ。デザインが好きだからという理由で選んだっていいんだ。いくら性能がよくても気に入らないデザインのものを毎日持ち歩く気分にはならないだろう」
「なりませんけど、それでいいんですね」
「いいよ。どうせならカッコいいのがいいだろう、洋服みたいなものさ。今のデジタルカメラは性能が目まぐるしく進化している。ある意味で家電みたいなことになっていて、昔のフィルムカメラみたいに三十年も四十年も同じように使えるわけじゃないからね」
「このあたりのカメラはどうですかね」
「うん。APS-Cセンサーの中級機という感じで、性能的にもカズトの最初のカメラには丁度よさそうだ。フルサイズやマイクロフォーサーズ、中判なんていうセンサーの規格もあるんだが」
「本で読んだんですけど、何が違うのかががわからなくて」
「興味があったら、使いながらネットとか本で調べてみるといい。一台目は気に入ったものなら何でもいいよ」
「じゃあカメラはこれにするとして、レンズも必要ですよね。ズームとか」
「ズームレンズはいらない。標準からやや広角のコンパクトな単焦点を一本だけ買っておけばいい。単焦点レンズは撮り方に制限があると感じるかもしれないけど、最初のうちは機能の選択肢を増やさないほうが単純でいいんだ」
「そうなんですか。初心者用のカメラだと標準ズームと望遠ズームが必ずキットになってるし、カメラ雑誌でも薦められてましたけど」
「ああいうセットを便利だ、割安だ、と思って買っても、ちゃんと使っている人を見たことがない。廉価版のズームは便利そうに見えるかもしれないけど、実はレンズが暗いんだ。だからシャッター速度が遅くなる。それを補うために感度を上げるから高感度ノイズが出る。最後には『せっかくいいカメラを買ったのに、スマホのほうがいいじゃん』なんて言うことになってしまう。実は、初心者にズームレンズは扱いにくいんだ」
「広角から望遠までカバーしているから便利なのかと思ってましたけど」
「そもそも多くの人が趣味で撮る小さな子どもやペットなどは、動きが速いうえに室内で撮ることが多いから、暗いレンズは適していないんだ。最初は明るくて小さい、標準からほんの少し広角域のレンズを一本だけ買えばいい」
カズトはカメラを決め、レンズを選び始めました。カメラには「マウント」という独自の規格があり、カメラメーカーによってレンズを取り付けるマウントの形状が違います。ただ、いくつかのレンズメーカーは、それぞれのメーカーのマウントに対応したレンズを出しているので、買ったカメラメーカー以外のレンズを選ぶこともできます。 「カメラには純正のレンズをつけるのが基本」と言われていた時期も過去にはありましたが、今はレンズメーカーのレンズの性能が純正レンズを超えることも珍しくないので、どちらを選んでも大丈夫です。
「一本かあ。なんか、つまらないですね」
「初めてカメラを買う人は単焦点一本でいい、ズームレンズを使わないほうがいい、というアドバイスには不満があるようだ」
「あります。欲しければ買ってもいいと思うんですけど」
「買ったっていいんだよ。もう少し詳しい理由を説明すると、まず、撮影しているときに、構図の決定とは違う種類の『トリミング』をしてしまうことになる。これをし始めると、ファインダーの中で起きているもっと重要な何かを見失うことがあるんだ」
「なんですか。『重要な何か』って」
「ちょっと待ってくれ。あとで言うから。もう一つが、安心感はあるけど意味はない、ということだ。十倍ズームなどは広角から望遠までの焦点域をカバーするから、どんな状況になってもこれさえあれば対応可能だぜ、という安心感を生むんだけど、結果は違う」
「スマホで撮っていても、ズームはよく使います」
「そうか。動物園に行ったら、遠くのほうで寝ている怠惰なライオンを望遠で撮ったり、猿山のサルを広角で撮ったりするわけだな」
「まさに」
「ズームレンズを初めて持った人は、視覚の変化が極端な最広角か最望遠の焦点域を使うことが多くなって、シームレスに存在する中間の焦点距離はあまり使われない。それなら、両端の焦点距離のレンズを二本持っていればいいことになる」
「いや、重いじゃないですか」
「単焦点二本は、ズームレンズ一本より軽いことがあるよ」
「そうなんですか」
「ズームレンズが写真にもたらす効果はさほど大きくないんだ。はじめからズームレンズを使っている人に単焦点レンズを貸してみると、コンパクトさ、明るさ、ボケの美しさに驚くよ」
「そうなんですか」
「カズト、カメラとしてのスマホの利点はなんだと思う」
「えーと、軽くて便利でいつも持ち歩いていることですかね」
「そうだ。カメラはいつでも持っていることが大事なんだ。だから、何本もレンズを買っても、持ち歩くのが億劫になってしまったら元も子もないだろう」
「はい。そうなるかもしれません」
「撮っていくうちに、もっと広角のレンズがあればいいなとか、この場合は望遠で撮ったほうがよくなる、などと必要に迫られることになるから、そのたびに一本ずつ足していけばいいんだよ」
「なるほど。さっきロバートが言ってた『重要な何か』の話を聞かせてください」
「最初からズームを使わないほうがいい理由として、『被写体との距離は、まず自分の足で動くことが大事』だと答える人がいる」
「距離感を自分の体でつかめるようになれってことですか」
「そうだ。けど、やや精神論に近いから、半分正しくて半分間違っているとも言える。写る範囲の問題よりもっと手前のことが解決されていないと、その言葉の理解には届かない。それが『目撃した私』の存在だ」
「なんだかカッコいい言葉ですね」
「たとえば、カズトが彼女とふたりで熱海かどこかの旅館に行ったら花火大会があって、部屋から見る花火が残念なことに米粒みたいだったとする」
「全然カッコいい話じゃなくなった」
「そこで写っているべき写真とは何か。花火を超望遠ズームで大きく写したとしても、『あのとき部屋から見た花火は米粒みたいだったよね』というふたりの記憶を捨ててしまうことにはならないか」
「そうか、僕がその場で目撃しなければ存在しなかった風景ってことですね」
「そうだ。人間の視覚に近い35mmから50mm程度のレンズを使えば、世界と自分との位置関係は自然と身についていく。近いものは近く、遠いものはちゃんと遠く写る。これは制限でも不便でもない。『目撃した私』の位置を記憶するんだ。この基準になる感覚を持たないまま超広角や超望遠の表現の面白さに浸ってしまうと、なぜ自分がそれを撮ろうと思ったのかよりも先に、画面一杯に花火が写ったよ、ああ綺麗だな、うまく撮れたな、という結果しか生まない」
「スマホの望遠で撮った富士山の写真とかも、別に見返そうと思わないですしね」
「自分がどこにいたのかをわからなくさせてしまうんだ。そして、豪快に多重露出までしてモリモリに写っている花火が、遠くのほうに米粒のようにみみっちく見えている花火より優れていると考えてしまうのはなぜなのか、一度考えてみるといい。大きく派手に写った花火の写真に価値があると思っても、そういうのは居酒屋のトイレに貼ってあるポスターのようで、誰でも同じように撮るから、検索すれば似た写真が大量に出てくるはずだ」
「ロバートの言いたいことがやっとわかってきました」
「他でもない自分の『愛した記憶の化石』を作るんだ。誰かと一緒にその日に見た、米粒花火こそがカズトの記憶だろう」
(以上、書籍『カメラは、撮る人を写しているんだ。』より一部抜粋)