写真:推し,推し活,コンサートグッズ写真はイメージです Photo:PIXTA

現在「推し活」という言葉が普及し、多くの人が自身の「推し」にお金と時間を費やすことが増えている。しかし、なぜ他者(推し)に、お金と時間を使って応援するのか理解できない人もいるだろう。推し活の社会的背景や若者の消費感覚などを『タイパの経済学』(幻冬舎新書)の著者でニッセイ基礎研究所研究員の廣瀨涼氏に聞いた。(清談社 沼澤典史)

コロナ禍が活性化させた
「ヒト消費」とは

 昨今、自分のひいきとする「推し」に時間とお金を使って応援することは、珍しくなくなった。ライブや物販、握手会などリアルな場所以外でも、配信者に投げ銭したり、PayPayで送金したりと消費の仕方も多様化。ヒトだけではなく、アニメのキャラなどを推している若者も多い。一方で、自分の経済力を超えるような過剰な消費も度々問題になっている。

 廣瀨氏は「そもそも推しという言葉の意味が、時代を経て異なってきている」と話す。

「推しという言葉は、もともとアイドルかいわいで使われ、自分が応援している好きなアイドルを指していました。しかし、現在ではイチオシのラーメンやカフェ、クラスメートや先輩など、身近な存在も推しと表現されます。今や推しは、個人が親密圏に置きたいもの、ひいきしたいもの、憧れているものなど、汎用(はんよう)性の高い単語となっています。推し活という言葉も幅広いですが、一般的にはそうした自分が好きなものやヒトを応援し、時にお金や時間を使うことを指します」

 こうした推し活のような消費の根底にあるのは、「ヒト自体をエンタメとして捉え、消費していくという『ヒト消費』だ」と廣瀨氏は言う。

「物質的に満ち溢れ、モノの所有に価値を見いだしていた1960~70年代は『モノ消費』が活発でした。その後、80年代はブランド物などの『ステータス(記号)消費』が増え、90~2010年代は旅行やレジャー、グルメなどモノやサービスを購入したことで得られる体験に価値を見いだす『コト消費』へ。そして、近年は『ヒト消費』という傾向が強まり、特にコロナ禍以降は顕著になっています」

 ステイホームを強いられた人々は家で消費できるエンタメを求めた。その中で、映像などで見られるヒト消費が活性化していったのである。

「例えば、NiziUを生んだ『Nizi Project』を筆頭とするオーディション番組は、誰かが努力する姿を応援するというヒト消費を喚起しました。コロナ禍で人々が抱いていた寂しさにうまくフィットしたのです」

 そして、このヒト消費を求める傾向は今も続いているのだ。