推しの存在感が
高まる時代的な背景
ヒト消費という言葉自体は、以前から存在していた。しかし、「推し/推し活」という名前が付けられたことが、現在までの広がりにつながっていると廣瀨氏は分析する。
「われわれが、有名人に関するドキュメンタリー、ゴシップ、うわさ話など、他人の物語や人生の文脈を消費するのが好きなのは、今に始まったことではありません。好きなアイドルを応援する行動などは以前からありました。しかし、『推し(活)』と名付けられ、可視化されたことで、多くの人に広まりました。例えば、当時は推しという言葉は一般的ではありませんでしたが、韓国ドラマ『冬のソナタ』のファンにとってヨン様は間違いなく『推し』で、空港での出待ちは『推し活』だったわけです」
一方、現代人の中で推しの存在感がこれほどまで高まっているのは、時代的な背景もあると廣瀨氏は指摘する。
「今は多くの人の関心が未来よりも現在に置かれています。特に若い世代から見ると現代は賃金が上昇しづらく、昭和のように1つの会社にいれば結婚や子育て、老後まで安泰だった時代ではなくなっています。
かつては『とりあえず働いていたら給料も上がり、普通の人生を歩める』という前提があったため、それが仕事へのモチベーションにもつながり、なんとなく未来は明るく思えた時代でした。しかし、現在はこうした明るい未来や希望は会社に所属していても不透明。故に、働くこと自体へのプライオリティやモチベーションが上がらなくなっているのです。
とはいえ、生きていくためには働かなければいけないし、生活の大部分は仕事に占められています。その中で、仕事や生きるモチベーションとなるのは、精神的充足を得られるような即時的で、ご褒美的な消費です。往々にして、その消費対象は自分が好きなもの(=推し)となり、明日への活力を推しに見いだしていくのです」
また、こうした自分の好んでいる存在へ傾倒していく流れは、昨今のSNSがもたらしたコミュニティー形成も強く作用しているという。
「SNSでは自分の価値観や趣味などが合う者同士で親密圏をつくれます。その中では、個人の趣味嗜好(しこう)や価値観が認められますから、とても居心地がいい。同時に、そこで良しとされている消費の形や価値観が深く内面化されていき、依存性も高まっていくのです」