90年代のトルコで高級輸入車が爆買いされていた理由
しかし、それとまったく同じ方法でインフレに対処した人々もいる。物価の急激な上昇が起きている最中に、貨幣ではなくモノを蓄えるという方法だ。
1990年代、トルコが目玉の飛び出るような高インフレに見舞われていたとき[*1](過去に何度も繰り返されてきた出来事の1つだ)、トルコ最大の都市イスタンブールの一部の商人が、のちに高値で転売しようと冷蔵庫を溜め込んだ。現金よりもキッチン家電という形で蓄えるほうが、「貯蓄」を守るのに好都合だったのだ。
一方、トルコリラをたんまりと保有していた人々は、貯蓄を守るために高級輸入車を買いあさった。為替管理のせいで、リラをインフレに強い米ドル、独マルク、英ポンドに交換するのが難しくなっていたからだ。
そうした「車好き」たちにとっては、急速に価値が目減りしていく国内通貨の上に座して待つよりは、少しずつしか価値が目減りしていかない外国資産を保有しているほうが得策だったのだ。
トルコ社会全体のためを思えば、洗濯機は埃をかぶる倉庫よりは人々の自宅にあるほうがよかっただろうし、BMWのクーペやメルセデス・ベンツのリムジンの輸入は少ないほうが、トルコの国際収支にとってはよかったのかもしれない。
しかし、何がなんでも「富」を守りたい人々にとっては、洗濯機や高級車を貯蔵するのは魅力的な選択肢だった。
このように、インフレは非常に奇妙なインセンティブを生み出し、経済的な意思決定を歪めてしまう。本来なら不合理なはずの選択を、完全に賢明な選択へと変えしまうのだ。
子ども時代の私の本の購入体験を例に取ろう。インフレのペースについていくためには、新たな価格シールを貼り付ける余分な人員を雇う必要があった。それはインフレさえなければまったく必要のなかった役割だ。そういう意味で、インフレは本来無用な仕事を生み出し、人々をものすごく奇妙な選択へと追いやってしまう、ということがわかると思う。