全世界で700万人に読まれたロングセラーシリーズの『アメリカの中学生が学んでいる 14歳からの世界史』(ワークマンパブリッシング著/千葉敏生訳)がダイヤモンド社から翻訳出版され、好評を博している。本村凌二氏(東京大学名誉教授)からも「人間が経験できるのはせいぜい100年ぐらい。でも、人類の文明史には5000年の経験がつまっている。わかりやすい世界史の学習は、読者の幸運である」と絶賛されている。その人気の理由は、カラフルで可愛いイラストで世界史の流れがつかめること。それに加えて、世界史のキーパーソンがきちんと押さえられていることも、大きな特徴となる。
数多くいる歴史人物のなかで「民衆の英雄」として讃えられるのが、ジャンヌ・ダルクだ。百年戦争でフランスを勝利に導いたジャンヌは、どんな生涯を送ったのか。悲劇的な最期や、彼女が歴史に名を残すきっかけも合わせて解説する。(文:著述家 真山知幸)。
人生を変えた「声」
歴史に名を残す偉人たちは「信念を持って行動した」という点で、みな共通している。
何も行動せずして偉業を残した人はおらず、そして、その人物を偉人たらしめた行動の裏には「きっかけ」が必ずある。
ジャンヌ・ダルクの場合は13歳のときに「声」を聴いたことが、彼女の人生を突き動かすことになる。ジャンヌ自身が、のちに判事の尋問に答える形で「声」の内容について説明している。
「神はフランスの民を大いに憐れんでおられる。あなたがフランスに赴かなければならない」
それを聞いた彼女は泣き出したというが、無理もない。ジャンヌは1412年頃に、フランスのドンレミ村で生まれた。生まれた年がはっきりしていないのは、出生記録がなく、彼女が裁判で答えた年齢から逆算するしかないからだ。
確かなのは、ジャンヌは糸紡ぎや裁縫などを行う農村の娘で「フランスの民の憂い」を伝えられても、どうすることもできなかったということだ。
しかし、その「声」は具体的にジャンヌが起こすべき行動について、さらに語りかけてきた。
「ヴォークルールに行けば、そこには彼女をフランスにいる国王のもとまで安全に送り届けてくれる隊長がいる。それはゆめゆめ疑ってはならぬ」
ヴォークルールとは、フランス東部に位置する、シャンパーニュに属するマース川流域の町のことだ。
ジャンヌは戸惑いながらも、この「声」を信じて従兄とともに、ヴォークルールへと赴くこととなった。
「百年戦争」で混乱の最中にいた
不思議な「声」に従い、冒険に出かけたジャンヌの行動は、理解しがたいかもしれない。理由の一つには、彼女が常日頃から祈りを捧げて、土曜になれば礼拝堂へ出かけるなど、信心深かったことが挙げられる。
さらにいえば、当時のフランスの状況は、神が憐みを感じても不自然ではないほど、危機を迎えていた。
フランス王位をめぐってイングランド王家が介入したのをきっかけに、終わりの見えない百年戦争に突入。諸侯たちがイングランド側とフランス側の二派に分かれて、内戦を繰り返していた。
兵士崩れの一団が、村や教会を焼いて、家畜を略奪する様をみて、村の少女に過ぎなかったジャンヌにも、思うところはあったに違いない。また、イングランド軍に包囲された、フランスの都市オルレアンの噂も、耳にしていたのではないだろうか。
百年戦争でイングランドが優位に立つと、1420年にトロワ条約が締結され、イングランド国王がフランス国王を兼ねることになった。
そんな状況を打開すべく「王太子のシャルルを王位につけること」も、「声」がジャンヌに課した使命だった。
「私以外にこの国を救える者はありません」
ジャンヌと護衛の一隊は、王太子シャルルと面会を果たすために、ヴォークルールへ。
道中では、幾度となく尋問を受けることになるが、そのたびにジャンヌは自身の境遇や「声」について説明。こんな言葉で自分の覚悟を訴え続けた。
「私以外にこの国を救える者はありません」
「声」に言われた通りに、隊長のロペール・ド・ボードリクールと面会。最初こそ信じてもらえなかったが、王太子シャルル宛ての招待状を得ることに成功する。
ジャンヌは、馬や武具などの装備も備えながら、ヴォークルールを出発。やがてシャルルのいるシノンの地へと到着した。
道中では、大胆にもイングランド軍やブルゴーニュ軍がいる敵地を夜間に横切ったという。
行動は言葉を裏づける。無事にシャルルのもとに着いたこと自体が、ジャンヌの言葉に説得力を与えることにもなった。