韓国で長く読まれている勉強の本がある。1冊は、日雇い労働をしながら4浪の末、ソウル大学に首席で合格した『勉強が一番、簡単でした』(70万部)。韓国では「受験の神」と称され、勉強に携わるもので、その名を知らない人はいない。日雇い労働者からソウル大学首席合格者になるまで、人生の大逆転を成し遂げた、韓国で知らない人はいない奇跡の物語。読後、勉強したくなる自分に驚くはず。超ロングセラー本『勉強が一番、簡単でした』から、その驚くべき内容を紹介する。(初出:2023年7月28日)
生まれて初めて1番になってわかったこと
私は生まれて初めて1番になった。ソウル大学に首席で合格したのだ。
誰だって学校で学級委員長をやったり、1番を取ったりしたことくらいはあるだろう―ーそう思うかもしれないが、小・中・高校の12年間を通じて、私は一度も学級委員長や1番になったことがなかった。そんな私が勉強を始めてから5年、その間に入試に3回失敗し、4回目の挑戦で、ついに合格通知を手にしたのだ。
でも、首席合格など、私にはこれといって意味がない。首席合格者だからといって、人より早く卒業できるわけでもないし、1番で入学しても1番で卒業できる保証はない。しかし、合格後に聞こえてくる周囲の評価や声に、私は当惑した。
「入るだけでも難しいソウル大に首席で入学するなんて、もう将来が約束されたようなものだ」
「これからは国のために大いに役立ってくれ」
そんなふうに声をかけられるたび、私は何と答えていいかわからず、戸惑うばかりだった。やっと大学1年生になったばかりの私に、「出世」などという言葉はとても似合わない。
また、ソウル大に首席合格したといっても、国のために将来何をするかなど、そのときになってみなければわからないではないか。
一部の人からは、日雇い労働者から最高の権力者予備軍へと駆け上った「男性版シンデレラ」に例えられた。さらには「韓国のトップ企業から億単位の契約金でスカウトされたそうだが、本当か」と尋ねられもした。もちろん、根も葉もない噂だ。このような反応を見るたび、自分が望むと望まざるとにかかわらず、私という人間の行動が人々に与える意味について考えるようになった。
私は本当に試験に合格しただけで、大成功したと言えるのか?
私は貧困と飢えに打ち勝って、ついに黄金のトロフィーを手に入れたハングリーなボクサーなのか?
どちらも違う。あれほど望んでいたソウル大の学生になったものの、それを抜きにすれば、私に変わったことは何もない。私がソウル大を目指したのは、「最高の栄誉」のためでもないし、ドラマで見るような「野望」のためでもなかった。私はただ、自分に与えられた限界を認めたくはなかっただけだ。