ニッチな自分の欲望も
きっと誰かと共有できる

 しかしながら、この番組がもう一つ秀逸なのは、哀れに見えた人が、哀れなままでは終わらない、という点です。ここに、「裏切られ」に対する欲望が訴求されます。人は「驚きたい」という独特な欲望を持っています。この番組における「駅前で酔い潰れた人」という入口は、人を驚かせるのに実に効果的な前振り、レッテル貼り、ハードル下げを実現する装置となっています。

 例えば、赤ら顔で呂律も回らなくなって駅前で座り込んでいる女性に声をかける。視聴者はこの段階で「これはさぞろくでもない、だらしのない人間の様が見られるんだな」と期待します。さらに言えば、番組の構造上「タクシー代程度でプライバシーを売らざるを得ないほどに困窮しているのかもしれない」という哀れみ目線の足し算も行われる。

 そして家に辿り着き見る光景に、視聴者は目を見張るのです。例えばその酔い潰れていた女性は、体の不自由な家族の生活を一人で支えている。早朝から家事をこなし、夜遅くまで働き、また朝から家事に全力を注ぐ。その束の間の癒しのために飲んだ酒が、たまたま彼女を深夜の駅前に置き去りにした。

 それだけのことだったと知った時、初めはろくでなしを見て安心したかったはずの視聴者は、自分の日々のだらしなさこそを思い起こし、身につまされ、彼女を応援し、自分もまた頑張ろうと思える──そういう構造になっているのです。あまりにも鮮やかです。グロテスクな人間の欲望を上手く利用し、ひっくり返して回収する。この局が発明した番組の中でも、この構造は群を抜いて美しいと私は思います。

 ヒロキさんはこの番組の成立過程について話をする時、「自分の欲望を大切にしろ」とよく言います。そうです、この番組はヒロキさんの「人妻を見たい」という欲望を出発点にしているのです。この番組が辿った経緯はそのまま、ヒロキさんの欲望実現の経緯にほかなりません。だから頑張れる、ということもさることながら、重要なのは「いかにニッチに思える自分の欲望でも、誰かが同じ欲望を抱いている」ということ。

 未だコンテンツ化されていない欲望が自分の中にあれば、それは大きなチャンスです。あるいはあなたの周囲に妙な欲望を持っている人がいるのであればそれもチャンス。映像コンテンツに限りません。あらゆる商売の原点はここにあります。