しかし彼は諦めません。彼はどうしても人妻をその目で見たいのです。見せたいのです。彼がすごかったのはここからです。まず、企画の弱点を分析しました。第一に、想定できる視聴者が男性だけになってしまっていること。それはつまり、市場を自ら半分に絞ってしまっていることにほかなりません。マス・コミュニケーションとしては大きなディスアドバンテージとなります。次に、視聴者の性欲ばかりに訴えかける番組になってしまっていること。倫理的側面から容認することは難しく、またスポンサー企業を集めることも困難です。

 そこで彼は、今一度自分の欲望に立ち返ります。自分が本当に見たいものは何なのか──「誰でもない人の、深夜の無防備なプライベート」を見たいのだ、ということに思い至るのです。

哀れそうな人を見るのは
人間にとって癒しになる

 ここでは、性欲に対する訴求力が減少した分を、衣食住の「住」に対する欲求で賄おうと考えています。不動産紹介番組がいつの時代にもあるように、人は他人の住まいに興味を持つ。そこを利用しました。この辺りのことは、本人の著書に詳しく書かれているので是非探して読んでみてください。

 加えて言えば、この番組には細かなところにも種々の「欲望」が配置されています。まず、「終電を逃した人」が入口であることがあまりにも秀逸です。終電を逃して駅前で途方に暮れている人というのは大半が酔い潰れています。終電を逃すほど酔い潰れるには相応の理由があるわけです。そしてその様には哀れさが伴います。

 ここでまず、「自分より哀れな人を見たい」という視聴者の欲望に訴求しています。噛み砕けば、「安心したい」という欲に訴えている。自分は世界で一番不幸な存在ではないのだ、ということを人は確認したいのです。

 私たちは皆不安です。さらにこの時代にあっては、人の幸福は相対的だと認識せざるを得ない状況に追い込まれます。つまり、「あの人に比べて私は幸せ」「あの人に比べて私は不幸」という、他者を物差しとしての幸不幸を絶えずジャッジしているのが現代人と言えるでしょう。その世界において、テレビ画面を通して哀れそうな人を見るのは癒しになる。グロテスクではありますが、一つの事実です。