「仮面ライダー555(ファイズ)」の乾巧役で人気を博した俳優の半田健人さん。多趣味でも知られ、鉄道、高層ビル建築など、多岐にわたる知識と見識を持ち合わせる博学多才な人でもある。
なかでも「昭和歌謡」については、「音楽評論家顔負け」と言われるほど。そんな半田さんが、3月20日発売の『TOKYOレトロ探訪 後世に残したい昭和の情景』で昭和歌謡についての持論を披露している。本の発売を記念して、そのインタビューを公開したい。
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昭和歌謡をよく聴くようになったのは、小学校5年生か6年生ぐらい。ギターを買ってもらったのが6年生だったので、よく覚えているんです。
本格的にハマったのは、漫画がきっかけでした。小学3年ぐらいから好きになり、小山ゆう先生の『がんばれ元気』に出合ってからです。『がんばれ元気』に夢中になり、ボクシングのことを詳しく調べるようになると、その時代を知りたくなりました。流行歌を聴けば時代の雰囲気がわかるんじゃないかと聴き始め、その素晴らしさに目覚めたんです。
中でも、渡辺真知子さんの「かもめが翔んだ日」を聴いた時に衝撃を受けました。曲の最初から歌詞が始まり、前奏が入って曲に入っていく。あの前奏に魅了されました。次に度肝を抜かれたのは、ピンク・レディーでした。都倉俊一先生のアレンジに感銘を受けたんです。
当時の歌謡曲はフルオーケストラで録ってますから、その編成の差、音の差が衝撃だったんです。僕の世代からしたら、これだけの人数で一つの曲が完成されていくのが新鮮に思えました。贅沢ですよね。「なにこれ、ビッグバンドじゃん」っていう驚き。まるでクラシックの舞台を見ているみたいな感じがすごいなと感じました。
当時、ビッグバンドを使うこと自体が、アナクロになっちゃって、だんだんオケの数も少なくなっていきました。理由の一つは、お金がかかるからやらなくなったのでしょうけど。1990年代の後半になると、打ち込み全盛の時代となり、自らのバンドを率いてテレビに登場するミュージシャンも出てきました。