無理に「自分を捨てよう」とする必要はない
そのためには、「エゴ・マネジメント」と呼ばれる「成長の技法」を身につけることです。
これは、ある意味で、人生において最も大切な「成長の技法」であり、もし、我々が、この技法を身につけることができたならば、職場や仕事の仲間だけでなく、家族や友人、知人など、人生全般においても、良好な人間関係を築いていくことができます。
では、その「エゴ・マネジメント」とは、どのような技法か。
この技法については、拙著『人生で起こること すべて良きこと』(PHP研究所)や『逆境を越える「こころの技法」』(PHP文庫)において詳しく述べましたが、ここでは、その要点を述べておきましょう。
まず、「エゴ・マネジメント」において、最も大切なことは何か。
それは、「エゴ」を抑圧しないことです。
なぜなら、「心の中のエゴの動きが、人間関係に悪い影響を与えてしまう」と述べると、我々は、しばしば、「では、エゴを捨てよう」と考えてしまうからです。
たしかに、昔から、古典と呼ばれる本においても、「我欲を捨てる」「私心を去る」といった言葉が語られていることから、我々は、つい素朴に、「我欲を捨てよう」「私心を去ろう」と考え、「エゴ」を捨てようと考えてしまいます。
しかし、こうした古典の表現は、「自分の心の中の我欲や私心に気づけ」という意味で言っているのであり、我々の心の中の「我欲」や「私心」は、それほど簡単に消せるものではありません。
そのことは、浄土真宗の宗祖、親鸞さえ、歳を重ねた晩年においても、「心は蛇蝎のごとくなり」と述べていることにも象徴されています。我々の心の中に「へび」や「さそり」のごとく、我欲や私心が巣食っていることを述べている言葉です。
「人のトラブル」をほくそ笑む自分は、いつも心の奥に隠れている
すなわち、現実には、どれほど、こうした「我欲を捨てよう」「私心を去ろう」といった言葉で自分を鼓舞し、心の中の「エゴ」を捨てようと思っても、多くの場合、「私は、我欲を捨てた」「自分は、私心を去った」といった自己幻想に陥ってしまうだけです。
人の心は、それほど単純ではありません。
そもそも、「エゴ」というものは、人間の生命力とも深く結びついており、本当に「エゴ」が無くなったら、生きてはいけないほど、人間にとって根源的なものです。
そして、「エゴ」というものは、「ああ、このようなエゴを持ってはいけない」と考え、それを捨てよう、無くそうと思って抑圧すると、一度、心の表面から消え、心の奥深くに隠れますが、必ず、また、別のところで蛇のように鎌首をもたげてきます。
例えば、同期入社の近藤課長と出世を競い合っていた村上課長。
期待に反して、近藤課長の方が、先に部長へ昇進しました。
部下から「残念でしたね」と言われた村上課長、厳しい表情でこう答えます。
「いや、俺は、どちらが先に出世するかなど、興味はない。そういう私心ではなく、もっと志を持って生きていくことが大切だからな」
しかし、それから数ヵ月後、近藤部長が、突如、病気で長期入院となります。
部下から「近藤さん、長期休養とのことですね」と言われ、村上課長、「そうだな、早く良くなるといいのだが……」と答えますが、そのとき、心の奥深くから、密かにほくそ笑む自分が現れてきます。
このように、我々の心の中の「エゴ」は、表面意識で抑圧して、消し去ったと思っても、決して消えることはありません。
一時、姿を潜め、隠れるだけであり、何かの拍子に、心の表面に現れてきます。