イタリアのエスプレッソとカプチーノの値段は1杯100円ちょっとと安く、ほぼ全国一律だ。EU諸国のコーヒーの値段が700円、日本の値段が500円程度なことを考えると驚愕の安さであるのが分かるが、一体何故か。そこにはイタリア人のある“美学”が関係していた――。本稿は、島村菜津『コーヒー 至福の一杯を求めて バール文化とイタリア人』(光文社)の一部を抜粋・編集したものです。
イタリアの多くの業界が
バールの繁栄で潤っている
2021年、イタリア飲食協会(FIPE)の最新情報によれば、イタリアでバールやカフェと名のつく店は、全部で16万2964店舗もあるという。
これがどのくらいの数字かといえば、イタリア人約370人に対して1軒くらいの割合である。道理で、どこをうろついてもバールに行き当たるわけだ。
イタリア人の97%がバールを利用し、コロナ禍前には、約9%が、バールで毎日、朝食をとっていた。バールを使う理由としては、ひと息つく時に利用する、あるいは自宅のそばにあって便利だからと答えている。それだけ生活に密着している。
また、バールが、いかにダイナミックな経済の拠点であるかというと、たとえば「バール・ジョルナーレ」という専門雑誌は、今も10万部以上購読されている。ただ、ミラノのキオスクでも、ローマの大型書店でも見当たらない。年間購読のみで、バール経営者とバール関連業者だけを対象としている。
大手の焙煎所やエスプレッソ・マシーンの大手だけでなく、「マルティーニ」や「カンパリ」といったリキュール類の大手、あるいは「アレッシ」などグラスや台所用品の業者、アイスクリームやカクテルのシロップ業者などあまたの業界が、バールの繁栄によって潤っている。
イタリアでも、バールが目立って多いのは、ミラノのあるロンバルディア州で2万4859軒。さすがは商業の中心地、モーダ(モード)の聖地。さらにローマのあるラツィオ州の1万5652軒。ナポリのあるカンパーニャ州の1万4627軒。ヴェネチアがあるヴェネト州の1万2420軒。そして、大学都市ボローニャがあるエミリア・ロマーニャ州の1万1742軒。フィアット本社のあるトリノを中心としたピエモンテ州の1万597軒……となっている。
19世紀から始まった?
バールの元祖・立ち飲みコーヒー
バール=BARという言葉は、もともとイタリア語ではない。英国やアメリカで、20世紀の初めから使われ出した言葉だそうで、ワインやカクテルを飲ませる店のことだった。その語源は、客と店の主人を隔てる横木にあり、そのまたルーツは、裁判所のそれだったという。
それでは、イタリアのバールという店の形態はいつ始まったのだろう。個人的には、ポンペイの遺跡にも残る間口の狭いワイン屋辺りが気になるところだ。ワインをなみなみと注いだアンフォラ(古代ギリシャや古代ローマでワインを貯蔵するのに使われた壺)を立て、量り売りをしていた小さな店だが、残念ながら、当時はコーヒーなど影もかたちもない。