毎日、エスプレッソを飲むイタリア人にしてみれば、大きな違いなのかもしれないが、日本円で約130円から190円は、やっぱり安い。
念のため、EU諸国と比較すると、コーヒー1杯の値段はデンマークでは5.20ユーロ(780円)、ノルウェーでは4.79(719円)、オーストリアが3.54ユーロ(531円)、そして日本は512円だそうだ。やはりイタリアは安い。
コーヒーを安く美味しく飲むのは
イタリア人の基本的人権
それにしても、なぜ安いままなのか。
どうもそこには、1杯のコーヒーを飲むのは、どんな人にも平等に与えられた基本的人権であるという考え方がありそうだ。ユーロ物価高の2004年、たとえばパレルモでは、自治体が商工会連合や自治体を集め、コーヒーとブリオッシュの朝食を約1ユーロ(150円)に統一しようと呼びかけている。ちなみに、当時ローマは1.3ユーロ(195円)、ミラノは1.4ユーロ(210円)。これはバールの経営者も合意の上である。質にも口を出す。だいたいどの自治体でも、7グラムは豆を使わないとエスプレッソと呼べないことになっている。
実際、イタリアでは、エスプレッソ1杯の値段が、暮らしのバロメーターになっている。
フィレンツェやボローニャで、ホームレスたちが自ら製作した薄い新聞を街頭でよく売っているが、どのくらい払えばいいのかという目安は、「エスプレッソ1杯分」だ。売っている当人も、「コーヒー1杯分でいいですよ」と手を出す。
やはり、1杯のコーヒーが高くないということは、人間らしい暮らしを保障する社会の基準であり、イタリアの地方自治体はなかなかやるじゃないか、ということになる。

島村菜津 著
たとえて言うなら、日本中の食料品店、和菓子屋や米屋にちょっとしたカウンターがあって、ちゃんとした煎茶を1杯100円くらいで飲めるという世界である。
もっとも緑茶文化は、立ち飲みなんて味気ないと認めないだろうから、別のかたちを編み出さなければならないだろうが、自動販売機のペットボトルよりは風情があるだろう。
差し迫った問題はコーヒーだけでなく、ミルクや砂糖、光熱費の高騰。経営者の幸せな暮らしがあってこそのバール文化だが、せめてひと息つく時のコーヒーくらい、おいしくて安くというこの基本的人権、何とか日本でも行使できないのだろうか。