ススキノを牛耳っていた
反社とのつながり

 今から15年ほど前、ススキノの中心地にほど近い雑居ビルの一角に「アキア」という女性が接待する店があった。形態はススキノの用語では「ニュークラブ」、東京でいうところのキャバクラだ。その店の代表が今村だった。今村が20代半ばのころだ。

 今村は羽振りがよかった。ススキノの住人たちがはっきりと記憶している。「アキア」があったビル近くで飲食店を経営する男性が振り返る。

「店が終わったあとに、女の子をよくウチに連れてきてくれましたよ。ニコニコして愛想よくて。ススキノになじもうと顔見知りの人が新店を出すと、大きな祝花を贈ったりしてね。汚い飲み方をするわけでもなく、感じのいい人という印象しかない。その後も、当時のススキノでは珍しかった男性を使う店、ホストクラブのハシリみたいな店、メンズパブとかメンパブとか呼んでいたけど、そんな店を開いてはやらせていましたよ」

 20代半ばにしてススキノでは知られた「やり手」だった。

「10代のころから客引きや黒服をやって成り上がったんだって言ってました。バイタリティのある人間だから、それも納得でしたね」

 そうした今村の商才を認める人間がいる一方で、秘めたる狂気に気づいていた者がいた。今村の店で働いていたという20代の女性と接触できた。

「普段は本当によい人だったんですけど、今村の店は客層がよくなかったんですよ。F連合というススキノでは有名なヤクザ組織があるんですけど、そこの人がよく飲みにきていて。今村を舎弟扱いしてるわけではないけど、ヤクザがバカ騒ぎしても今村は何も言えなかった。だからちょっと怖くなって店をやめちゃいました」

 F連合というのは6代目山口組系の組織でススキノを牛耳っているとも言われる反社会的組織だ。

「その当時、ススキノで商売をしていたら、F連合と関係を持たないのは難しかったかもしれないけど、必要以上に親しくしているなと思っていました。今村も札つきのワルで有名でしたから、ウマがあったんですかね」(前出の飲食店経営者)

1984年生まれの
若き経営者として意気投合

 1984年に札幌市で生まれた今村は、幼少期には渋谷姓を名乗っていた。しかし、恐喝や傷害事件などを繰り返し、中学3年のときには少年院に入るなどしたことから、「自分のせいで家庭は破綻、親が離婚して今村姓になった」と語っていた。地元の半グレのような存在として名を知られていた。