この時期、今村はある重要な人物との出会いを果たしている。「ゆうちゃん」と今村が呼ぶ、渡邉優樹だった。

 晴れた日には海岸線から国後島を望むことができる、道東に位置する北海道別海町。今村と同じ年に酪農家に生まれた渡邉は、実家の乳製品の販路を拡大させることを将来の目標として、札幌学院大学経営学部に進学するため札幌にやってきた。しかし、人より牛の数の方が多い町で育った若者にはススキノの刺激は強すぎたのだろうか、大学での勉強がおろそかになり、ススキノに入り浸るようになる。

 その後、今村と同様に黒服を経験し、「ブラックチェリー」というサパークラブというか、ガールズバーの男性版というべき店をススキノでオープンさせている。同じ1984年生まれの「若き経営者」として2人は意気投合したようだ。

 このころの渡邉の評判はすこぶるいい。少年時代から剣道に打ち込んだせいか、裏表のない性格で、従業員の相談役だったという。

 黒服やボーイを自宅に招くと、当時の妻に鍋を用意させ、それを一同でつつきながら夜な夜な盛り上がる。そんな思い出を「楽しかった」と振り返る元従業員もいた。

 商才にも長けていた。ススキノで産地直送の青果店を始めたり、不動産業を始めたり、さらにはチャットレディを使った、今でいうところの「オンラインキャバクラ」のようなシステムの店をつくって営業していた。

 この時、共同代表として渡邉の片腕となり働いていたのが同じく1984年生まれの藤田聖也だった。

 藤田は函館にほど近い、七飯(ななえ)町で生まれた。藤田がどのようにススキノに流れ着いたのかその経緯は判明しなかったが、幼いときには宮本姓を名乗っていたという。

 今もその宮本姓を名乗る藤田の父親を訪ねた。一連の事件には驚きつつも、「もう何年も会っていない。自分には関係ない。今はもう息子だとも思っていない」と実に素っ気ない対応だった。

書影『「ルフィ」の子どもたち』(扶桑社)『「ルフィ」の子どもたち』(扶桑社)
週刊SPA!編集部特殊詐欺取材班 著

 ススキノという街で出会った同い年の3人、今村、渡邉、藤田は共鳴し、さまざまな仕事を共にするようになる。ちなみに、ここにのちに幹部となる彼らの6歳上である小島智信も合流している。

 生き馬の目を抜くススキノで、今村や渡邉、藤田が商売を始めて数年が経った。彼らが20代後半に差しかかったころに転機が訪れる。彼らの店が傾き始めたのだ。アイデアひとつで業種を広げていった渡邉だったが、簡単に真似ができる業態だったため、競合店が増え、その業態自体が客に飽きられ廃れていったのだ。

 首が回らなくなった渡邉が考えたのが「ルフィ」の原型とも言える犯罪だった。