そこでその旅行から帰って母に会ったとき、聞いてみたのです。母は女子大の国文科を卒業しておりました。少なくとも私よりはるかに百人一首に通じているはずです。
私は機内での一件を説明し、私自身の解釈も忌憚なく母に伝えました。すると、
「まあ、だいたいそんな内容なんじゃないの?」
あっさり私に賛同してくれたのです。ちなみに母とセックスの話をしたのは、あとにも先にもそのとき一回きりであり、それは画期的なことでした。
母はついでに、学生時代の国文学の授業の思い出話もしてくれました。母がお習いしていた先生は、日本語にたいそう厳しい女性の先生だったと言います。
その先生が、万葉集や古典の詩歌を解説なさるとき、黒板に、「事、ありやなしや」そう書いて、「これは古典を解釈するにおいて大事なポイントです」とおっしゃったそうです。
事、すなわち、そういうことのようです。事、ありやなしや。いい言葉です。
まんざら私の解釈は間違っていなかったどころか、的を射ていたのではないかと、その後、ダンフミに反論はしませんでしたが、内心で腑に落ちたできごとでした。
「なんもせんけん、よかろ?」と
言いつつ、五木寛之はやる男
そういえば、堅物ダンフミと、五木寛之さんと一緒にロンドンとパリへ講演旅行をしたことがありました。三人に加えて出版社の方が随行してくださる贅沢な旅でした。
途中、みんなで雑談となり、ふいに五木さんが語り出されたのです。
「好いた女性をそういう場所に連れて行きたいと思ったとき、九州の男はシャイだからね。ストレートには言えないのですよ」
「なんて言うんですか?」
「なんもせんけん、よかろ?」
そうおっしゃってから、一呼吸ののち、
「なんもせんわけ、ないのにな」
ちょっとはにかみながら五木さんが加えると、隣にいた出版社の男性が目を丸くして、割り込んできました。
「九州男は、そんなまどろっこしいこと言うんですか?」
その出版社の方は高知の出身でいらした。