すると、とうとう思い余った様子で目の前の女性が声をかけてきた。
「あのー」
「なんでしょうか?」
女優の矜恃を存分に発揮して、すました顔で返答すると、
「チャック、開いてますけど」
言われた当人は、「むちゃくちゃ恥ずかしかったわ!」とひどく凹んでおりましたが、その段階で言ってもらえてよかったではないですか。もし誰もが気づいているのに、誰も声をかけなかったら、女優Dは社会の窓を存分に開放したまま一日中、都内をうろつき回っていたことでしょう。
早期発見早期治療。ちなみにお気づきとは思いますが、女優Dとは檀ふみのことでございます。
大竹まことの心をつかんだ
鼻毛女優のハンカチ所作
大竹まことさんが話してくれたエピソードがあります。大竹さんがある女優さんと共演し、かなり顔を近づけて演技をすることになったとき、大竹さんは気づいてしまいました。
「鼻毛が出ている……」
さすがに相手は女優です。その事実を伝えたら、おおいに傷つくかもしれない。でもこのまま放置していたら、多くの人に見られてしまう。勇気をふるって大竹さんは声を発しました。
「あのー、鼻毛が……」
するとその女優さん、「あら」とひと言応えると、持っていたハンカチを使ってギュギュギュッと出ていた鼻毛を奥に押し込んで、平然と笑いかけてくださったそうです。
「あのとき、いい女優さんだなあと僕は感動したんだ」

阿川佐和子 著
その話を聞いた私も、一度も会ったことのない女優さんではありましたが、すっかりファンになりました。その方のお名前は伏しておきますね。Dさんでないことだけはたしかです。
人に指摘されたら恥ずかしいことは多々あります。チャックや鼻毛以外にも、背広の肩にたくさんフケが落ちていたり、セーターを裏返しに着ていたり、ボタンをずらして留めていたり。見つけた側も見つけられた側も、一瞬、ギョッとして顔を赤らめることになるかもしれません。
でも同時に、小さな秘密を共有する同志のような親密感も生まれます。いつもは堅物に見えた人が、そんなドジを踏んでいるのを発見したら、ちょっと嬉しくないですか?その後、声をかけやすくなる気がします。