世界に多大な影響を与え、長年に渡って今なお読み継がれている古典的名著。そこには、現代の悩みや疑問にも通ずる、普遍的な答えが記されている。しかし、そのなかには非常に難解で、読破する前に挫折してしまうようなものも多い。そんな読者におすすめなのが『読破できない難解な本がわかる本』。難解な名著のエッセンスをわかりやすく解説されていると好評のロングセラーだ。本記事では、ジョージ・バークリの『人知原理論』を解説する。

読破できない難解な本がわかる本Photo: Adobe Stock

認識論という学問はイギリスで生まれた。人間はいかにして世界を正しく認識しているのか 実は物体は存在せず、その物体の情報を心が直接捉えていると考えた哲学者がいた。それがジョージ・バークリ。実は世界はバーチャル空間だったのか?

実は物質は存在しないという哲学?

 自分を取り巻く世界は本当にあるのでしょうか。

 バークリという18世紀の司教(哲学者)は、外界に物質が存在する確証はないと主張しました。まさに映画『マトリックス』や『インセプション』を先取りする話です。

 バークリによると、物体は色や広がりなどを持っていますが、それらは知覚されてこそ私たちに「存在している」という自覚を与えています。

 となれば、色や形などの視覚情報や堅いや柔らかいなどの触覚情報、さらに匂いなどの嗅覚情報などが私たちの心に与えられれば、仮想的な世界が出現するというのです。

 バークリは、いかなる感覚的実体も、それを知覚する心の中にしか存在することができないと主張しました。彼は感覚を超えて、外部に物体の存在を求める必要はまったくないと主張したのです。

 しかし、常識ではたとえば、「自分の部屋の机は、自分が外出しているときも、そこに存在しているのではないか?」と考えるでしょう。バークリによれば、それは証明不可能です。

 自分の部屋に机があるということの意味は、もし自分がその場にいるとするならば、机を知覚するだろうということにすぎません。

 また、他の主体が知覚した場合、その間だけ、それが存在しているということです。

 つまり、私たち人間が主観的に知覚している色、音、香りなどの観念があるから物体が存在しているのであって、別に物体が外側にそのままの形で存在する必要はないのです。

 この世界は、情報オンリーのVR空間だったというわけです。

もしかすると本当にそんな世界があるかも?

 「匂いがあったということは、それが嗅がれたということである。音があったということはそれが聞かれたということである」(同書)

 こうしてバークリは、いかなる物も「知覚される」ということを離れて「存在する」ということはないとし、ここに「存在するとは知覚されることである」という定式をたてました。

 では、この仮想空間を作り出しているのは何者なのでしょうか。

 もし人間が仮想現実を作り出しているのなら、自分の希望するいかなる世界も創作することができます。急に空を飛んだりできるはずなのです。

 でも、人生は思うようにはなりません。物理的なルールの範囲内でしか行動不可能です。

 そうしないと、心の中にあるものが人それぞれ違うことになってしまい、人間が個々にバラバラの妄想をもっていることになります。

 そこで、バークリの場合は、人それぞれの心にデータを送り込んでくるサーバーのような存在(神)を想定しました。

 有限な人間精神によってではなく、無限な精神、つまり人間精神をも含めて万物を創造する何かの巨大なシステムが存在するに違いないというわけです。

 これらの説は、一昔前までは誤りと考えられていました。

 ところが、知覚=存在というのは、現代のコンピュータ社会におけるVR世界の観点からすると一理あると言えるかもしれません。

 近未来において、コンピュータによる現実世界とまったく同じリアル感をもった仮想空間が作られると、本当に存在するという「存在」の意味が多様に解釈されるでしょう。まさに『レディ・プレイヤー1』の世界。

 さらにこの世界が最初から一種の物理的システムによって作られたバーチャルマシンであるということを否定はできないかもしれません。

 そんなSF的なことを考えてみるのも面白いのではないでしょうか。

 この世界は、情報オンリーのVR空間だった。そんな考え方をするのも面白いかもしれません。