世界に多大な影響を与え、長年に渡って今なお読み継がれている古典的名著。そこには、現代の悩みや疑問にも通ずる、普遍的な答えが記されている。しかし、そのなかには非常に難解で、読破する前に挫折してしまうようなものも多い。そんな読者におすすめなのが『読破できない難解な本がわかる本』。難解な名著のエッセンスをわかりやすく解説されていると好評のロングセラーだ。本記事では、スピノザの『エチカ』を解説する。
デカルトの哲学では、心と身体は別の実体だった。スピノザはこれを一つにして、「自然(神)」と考えた。すべての精神と物体は、「自然(神)」というエネルギー体の異なった現れだったのだ。これを明晰に説明するためにスピノザはユークリッド幾何学の方法を使って説明した。
幾何学によって世界を説明するユニークな書
オランダの哲学者スピノザは、斬新な方法で緻密な哲学体系をつくりあげました。
彼はデカルト以降に残された精神と身体の心身問題、機械論と自由、幾何学的精神と宗教的精神などの分裂をすべて統合することを目指したのです。
『エチカ』は、ユークリッド幾何学の体系にならっており、定義、公理、定理という形の体系で表現されています。
たとえば、定理として「神、すなわちそのおのおのが永遠・無限の本質を表現する無限に多くの属性からなりたつ実体は、必然的に存在する」をおきます。
そして、その証明を数学のように続けます。
デカルトが、哲学に数学の手法を取り入れたわけですが、スピノザは、さらにユークリッド幾何学そのままの形式を哲学に導入したのです。
「【証明】(神が存在する)これを否定する人は、もしできれば神が存在しないと考えなさい。そうすれば、公理七『存在しないと考えられるものは、その本質が存在を含まない』より、神の本質には存在が含まれないことになる。しかし、このことは定理七『実体の本性は存在することである』より不条理である。ゆえに神は存在する。証明終わり」(同書第一部)
『エチカ』では、このような証明が延々と続いています。この書によれば、神は唯一の実体であり、その本質は思惟(精神)と延長(物体)の属性をもちます。
思惟(精神)と延長(物体)は神の現れ方の違いに過ぎません。たとえれば、海の水が様々な波の形となって表現されるようなことでしょう。
過去を後悔しても無意味だ
汎神論(一元論)では、すべての存在が一つのものの別な表現となりますので、精神と物質の両者の間の対応関係が説明しやすくなります。
つまり、「歩こう」(精神の働き)と思えば、「歩ける」(身体・物体の働き)というシンクロ現象は、根源的な実体が2つの方向で表現されているのです。
根本的に一つの原理が多様な現れ方をするという見解は、現代の物理学に通じるところがあります。
ところで、神(=自然)はなんら目的をもって活動しているわけではなく、必然的な動きをしています。
これは「機械論的世界観」と呼ばれます。この説ではすべてが原因と結果でつながっているので、出来事はすべて決まっていることになります(決定論)。
そうなると、世界の出来事はすべて決定しているのですから、現在の世界以外の世界のあり方は存在しません。
そして、未来もまたすべてが決定しているのです。これは、世界全体がドラマのように完結しているということなのです。私たちは時間の流れで、それを垣間見ているのです。
ということは、この世界観によれば、私たちが「もし、あのとき……だっタラ」「もし、あのとき……していレバ」と後悔することに意味がないことになります。
さらに、人生に自由がないことを意味します。「投げられた石が自分で自由に飛んでいると思っているだけ」(同書)なのです。
この説を真に受けると、人生に意味がないような失望感に襲われるかもしれません。でも、実はそうではありません。
『エチカ』によると、「世界に自由がないということを知ることが自由」なのだというのです。
なにか後悔しそうになったときは、自分自身が宇宙の一つの波動のようなものだとイメージして、現在のあり方を受け入れます。
そして、自分も神も一つであることを理解し、世界全体を愛するのです。これは「永遠の相のもとに」神を認識すると表現されます。
「外部の原因の観念を伴う悲しみが悩み」であり、理性的に考えることで、人生の苦しみから脱出することもできるのです。
富増章成(とます・あきなり)
河合塾やその他大手予備校で「日本史」「倫理」「現代社会」などを担当。
中央大学文学部哲学科卒業後、上智大学神学部に学ぶ。
歴史をはじめ、哲学や宗教などのわかりにくい部分を読者の実感に寄り添った、身近な視点で解きほぐすことで定評がある。
フジテレビ系列にて深夜放送された伝説的知的エンターテイメント番組『お厚いのが、お好き?』監修。
著書『21世紀を生きる現代人のための哲学入門2.0 現代人の抱えるモヤモヤ、もしも哲学者にディベートでぶつけたらどうなる?』(Gakken)、『日本史《伝説》になった100人』(王様文庫(三笠書房))、『図解でわかる! ニーチェの考え方』、『図解 世界一わかりやすい キリスト教』『誰でも簡単に幸せを感じる方法は アランの『幸福論』に書いてあった』(以上、KADOKAWA)、『超訳 哲学者図鑑』(かんき出版)、『オッサンになる人ならない人』(PHP研究所)、『哲学の小径―世界は謎に満ちている!』(講談社)、『空想哲学読本』(宝島社文庫)など多数。
【著者からのメッセージ】
私たちはなぜ本を読むのでしょうか。それは「本は人類が積み上げてきた叡智のアーカイヴだから」です。本は、人に知識や喜怒哀楽すべての豊かな経験を与えてくれる存在です。ときに読んだ人の人生を変えてしまう本だってあるでしょう。
この本で紹介しているのは、本のなかでも特に多くの人に読み継がれていたり、あるいは数千年という時を経ても今なお読まれている本、つまり「名著」です。
「名著」にはそう呼ばれるだけの理由があります。たとえば多くの人が今悩んでいることのほとんどは、この長い歴史上で誰かがすでに徹底的に考えていることです。紀元前という昔に遡っても、人間はやはり人間なのです。だから、もしあなたに悩みや、疑問に感じていることがあるなら、それらの答えのヒントはほぼ「名著」のなかにあるのです。
「目標がないし、やる気も出ない」「思考が乱れて集中できない」「健康なのに、なぜか疲れを感じる」「勉強したいが、どこから何をしたらいいのかわからない」「働いても働いても、楽にならないのはなんでだろう」「歳をとってきて、だんだん楽しみが減ってきた」
そんな悩みは、この本で紹介する「名著」のエッセンスを手に入れればたちまち解決するはずです。自分で思い悩むよりずっと気分が晴れること、請け合いです。
ところで、「名著」の多くは、とても難解で、それでいて分厚いものが多いです。しかし、名著が難解なのには、実は理由があります。分厚い古典的「名著」は、その時代背景と常識を前提として書かれているので、多くの場合、現代の私たちにとっては説明不足なのです。また、その学問世界の専門用語を「知ってるんでしょ?」という前提のもとに書かれていますから、こっちはわかるわけがない。
「名著」は、下手をすると一冊をしっかりと理解するのに20年以上かかります(それでも、さらに疑問は増えていきます)。普通に生きて普通に暮らしている私たちには、そんな時間はありません。つまり、「名著」とは基本的に「読破することができない本」なのです。
人生は短い。だからこそ「名著」をまず、おおざっぱに理解して、興味が出たら原典にあたればよいのです。この本では、古今東西の「名著」のうち哲学から心理学、経済学まで選りすぐった60冊のエッセンスをイラストとともにわかりやすく解説していきます。
※収録した60冊は、『ソクラテスの弁明』(プラトン)、『方法序説』(デカルト)、『実践理性批判』(カント)、『現象学の理念』(フッサール)、『歴史哲学講義』(フッサール)、『ツァラトゥストラはこう言った』(ニーチェ)、『存在と時間』(ハイデガー)、『存在と無』(サルトル)、『自由からの逃走』(フロム)、『社会契約論』(ルソー)、『資本論』(マルクス)、『論理哲学論考』(ウィトゲンシュタイン)、『グーテンベルクの銀河系』(マクルーハン)、『ポストモダンの条件』(リオタール)、『複製技術時代の芸術』(ベンヤミン)、『アンチ・オイディプス』(ドゥルーズ&ガタリ)、『21世紀の資本』(ピケティ)など。
もちろん原典と比べてその情報量は雲泥の差です(本書の場合、500ページ以上ある本も見開き4ページにまとめているのだから)。でも、なんにも読まないよりずっといいでしょう? そう思いませんか。分厚い本を一冊買って、読まないで部屋に飾っておくより、本書を電車の中で読んだほうがよいのではないでしょうか。
必ずしも時代順になっていないので、どこから読んでもOKです。パラッとめくって、全体を眺め、どんなふうに自分の役に立ちそうかを考えます。それぞれの本は、関連を他のページとリンクしてあります。つながりの意味については、本書の冒頭に収録した「ひと目でわかる名著の関連図」を参照してください。
ぜひ本書を活用して、自由な思考法を手に入れて、人生の難問解決をはかり、明日に向かって進んでください。きっと、すばらしい未来が広がっていくことでしょう。