世界に多大な影響を与え、長年に渡って今なお読み継がれている古典的名著。そこには、現代の悩みや疑問にも通ずる、普遍的な答えが記されている。しかし、そのなかには非常に難解で、読破する前に挫折してしまうようなものも多い。そんな読者におすすめなのが『読破できない難解な本がわかる本』。難解な名著のエッセンスをわかりやすく解説されていると好評のロングセラーだ。本記事では、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』を解説する。

読破できない難解な本がわかる本Photo: Adobe Stock

哲学の結論はそれぞれバラバラだ。数学や自然科学のように、スッキリした答えがでない。それもそのはず、過去の哲学はその思考ツールとしての言葉を誤って使っていたからだ。言葉の分析をすれば、正しいことがわかる。なぜなら思考=言語だからだ。

言葉が世界を正確に写し取っている

 『論理哲学論考』とは、一言でいうと「過去のすべての哲学を初期化する哲学」です。

 哲学というのは言葉の学問です。すべて、文として表現されます。

 古代ギリシアの時代から、様々な哲学者が「言葉=思考」を展開してきました。

 しかし、哲学者の説いた説が正しいかどうか以前に、彼らの言葉の使い方を分析して誤りがわかったなら、もう中身は検討しなくていいわけです。問題を消去すれば、問題は消えるというのです。

 「問題はその本質において最終的に解決された」(同書)

 たとえば、コンビニで肉まんを頼んだのに誤ってチキンが出てきたとしましょう。

 そのとき、「この肉まんはピザ味か、カレー味か」なんて考えることは無意味です。なぜなら、チキンが出されたことで、すでに、前提が間違っているからです。哲学もこれと同じ。

 ウィトゲンシュタインによると、様々な哲学の問題は言葉の使い方をミスしているから生じるのであり、言葉を正確に分析すれば謎はすべて解けるのだといいます。

 「2・12 絵は現実のモデルである」
 「3・001『ある事態を思考することができる』ということは、その事態について、絵を描いてみることができる、ということである」
(同書)

 言葉が世界を正確に写していて、世界と言語は鏡のように対応している。これを「写像理論」といいます。

 言葉と世界が表裏一体なので、言葉の使い方を検討すれば、世界を正しく捉えているかどうかがわかるのです。

過去の哲学は、無意味な文だった?

 「4 思考とは、有意義な命題のことである」
 「4・003 哲学的な主題について書かれてきた命題や問の大部分は、偽ではないが、非意義的である。だから、こういうたぐいの問には、とうてい答えられない。できることは、その非意義性を確認することだけなのだ」
(同書)

 たとえば、「ウィトゲンシュタインを掛け算する」という文は、いちおう文の形をとっていますが意味がありません(非意義的)。

 「5・61 論理が世界を満たしている。世界の境界は論理の境界でもある」(同書)

 言語に表現されるものの限界が世界の限界となりますので、語れないことは哲学の世界から排除されてしまうわけです。

 ウィトゲンシュタインは、哲学の諸問題が解決されなかったことは、語れないことをムリして語っていたからと考えたのです。

 もし、ある命題が指し示す対象が存在しなければ、それは無意味ということになります。

 となると、私たちが常日頃から疑問に感じている「人生の意味」「死後の世界」「神の存在」など近代までの哲学が真剣に取り組んできたあらゆる哲学のテーマは、言語の限界を超えてしまっていたのでした。

 「6・521 生の問題の解決を、人は、その問題の消失という形で気づく」(同書)

 生の問題は、最初から意味がないので、解決済みということになります。

 さらにトドメがこのラストを飾るフレーズです。

 「7 語りえぬものについては沈黙しなければならない」(同書)

 ここまで言い切ったのに、実はウィトゲンシュタインは、自ら『論考』の間違いを認めたのです。

 そして、新たに「言語ゲーム」の哲学を展開しました。哲学者が自分の説の間違いを指摘するというのは珍しく、彼の徹底した探究心が伝わってくるようです。

 ウィトゲンシュタインによって、言語論的転回と呼ばれる哲学の新しいステージが始まりました。