いまのわたしなら、「使わないなら不用品として売るか、思い切って捨てよう」となりますが、当時は「高かったのに捨てるのはもったいない」「いずれ使うかもしれない」という思考で、部屋のなかは着ない服や使わないもので溢れていました。
「自分のために、自らの意思で選んだ支出」ではなく、ただ「世間体を気にしてお金を使っていただけ」だったのです。
“オトナの女性”だから、「こういうものを身につけないといけない」「これくらいのものは買うべきだ」という固定観念を持ち、それを実現するために散財する。
百歩譲って、お金が足りているうちはまだいいのです。
でも、お金が足りなくなって買えなかったり、買ったことで日々の生活が苦しくなったりすると、さらに大きなストレスを感じてしまう。
「こんなに頑張っているのに、ほしいものも買えない……。みんながSNSに載せるような、キラキラした素敵な暮らしができない。わたしは負け組だ」
いまとなれば笑ってしまうような、はずかしい話です。日々のストレスにより、ちょっと買い物依存症のようになっていたのかなとも思います。
「他人軸」を卒業して「自分軸」で生きていく
・社会人ならデートはいいお店に行くべき→安くてもおいしいお店はたくさんある
・大人ならスーツはそれなりのものを着ないと→見方によっては毎日着る作業着なのに
・腕時計や靴は品格を表す→モノと品格ってそんなに関係ある?
・女子会はホテルのアフタヌーンティー→仲のいい友だちとならどんな場所でも楽しい
・○歳を過ぎたら○○にはお金をかけるべき→年齢で区切ることに意味はある?
このような「○○すべき」や「普通は○○」は、“世間の声”を装った企業や広告が、巧みにわたしたちにお金を使わせようとしているだけなのです。
こういった考え方に支配されたままだと、どこまでいっても他人軸でしか生きられません。
「みんな持っているもの」「○代の女性なら(男性なら)買うべきもの」「一人前の大人なら当然のたしなみ」という視点で考えてしまうから、「それができない自分」に劣等感を抱いてしまうのです。