イチロー選手は野球の虫ですね。本当に心から野球が好きなのでしょう。初めてシーズン200安打を達成した日も、試合後にずっと素振りをしていたそうです。普通だったら飲みに行くなどして盛大にお祝いをしそうなものですが、それでも野球に打ち込む。それが、メジャーでも一流の選手になった礎なのだと思います。

「仰木さんはさすがだ」と思うのが、鈴木一朗から「イチロー」への登録名変更です。佐藤和弘選手も、あだ名であった「パンチ」に登録名を変えるなど、今までの常識を覆すユニークな発想を持っていた。

 監督だけではありません。「ウグイス嬢」という言葉がよく使われていたように、かつては球場のアナウンスを務めるのは女性が一般的でした。本拠地の神戸で、ラジオのDJ(ディスクジョッキー)のような陽気な男性が「イチロー・スズキ!」と紹介するのも球界で話題になりました。

 チームの編成や事務方など、球団が一つになって新たな取り組みを始めていた。その結果、阪急時代から続いた「スタジアムに閑古鳥が鳴く」という状況が徐々になくなっていったのです。

 新生スターの登場に沸いた94年は、西武ライオンズがパ・リーグを制しました。イチロー選手は野手としてプロ野球最年少でのMVPを受賞。オリックスはリーグ2位と健闘しました。新たな布陣で、いよいよ優勝を目指せるところまで来たと確信を持ちました。

 私たちのホームタウンである神戸を大きな揺れが襲ったのは、そのすぐ後でした。